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トライアングル12

第八章 秘密 2 <sideカオル>


 僕は、イライラしながら、ある人物を待っていた。
 ここは、桜子と出会った駅前のファミレスだ。それから何度か待ち合わせにも使っている。誰かに見られているようで、それだけでも居心地が悪いというのに、待ち合わせの相手は自分が呼び出したにもかかわらず、すでに十分遅刻している。イライラもしようというものだ。
 それに、僕を呼び出した相手自身がまた、僕を不愉快にさせるには十分だった……もちろん、あくまでも僕の個人的な感情ではあるけれど
『トモには、あたしが呼び出したこと黙っててよね」
 彼女は少なからずコビを作って僕に念を押した。誰と会うとか、そんなこといちいち報告し合わないよ、そう言うと彼女は意味ありげに笑って、僕はそれがすごく気に障った。だからかえって、彼女を無視できなかったのかもしれない。
「遅いっつの」
 店の時計は、すでに待ち合わせ時間の十五分過ぎを示していた。彼女がやっと現れたのは、それからさらに五分後だった。


「二十分過ぎてる」
 彼女が向かいに座ると、僕は思い切り、感じ悪く言った。
「ホントだー」
 悪びれずに、彼女……高木容子は言った。
 彼女と話すのは、去年トモたちと一緒に水族館に行って以来だ。あれから何度かトモと一緒のところも見かけたけど、僕にとってはそれだけの接点しかない女の子だった。そんな彼女が、今頃僕に何の用があるというんだろうか。億劫なことこの上なかった。
 改めて向き合う彼女は、僕が知っている頃とは何だか雰囲気が変わっていた。彼女がトモと付き合っていてさえ、僕は彼女に嫉妬はしても、悪い感情は持っていなかった。トモだって、彼女のことを「自分のことをあれこれ詮索しないから好きだ」と言っていたのに。
 それなのに、目の前の高木容子は何故かしら挑発的というか、意地の悪い感じがして、僕はますますイライラする。
「で、何の用? 急に呼び出してさ」
 彼女とゆっくりお茶をする理由はない。とっとと本題に入って、早く帰りたかった。
「カオルくん、星心女学院の子とつきあってるんでしょ」
 彼女はちょっと肩をすくめてから、探るように上目遣いで僕を見た。
「それが何?」
 何でそれを……と、内心ちょっとあせったけれど、シャクにさわるので何でもない風を装う。
「だったら、それほど興味ないかもしれないけど、今、トモと春菜つき合ってるじゃない?」
 僕は、二杯目のアイスコーヒーにミルクを入れようとしていたところだったが、フレッシュのフタをめくる指先が急に言うことをきかなくなってしまった。
「……何て?」
高木容子の唐突な言葉に、僕は正直動揺していたけど、彼女にだけはそれを悟られたくなかったので、ありったけの平常心をかき集めて、もう一度聞いた。
「トモと、誰がつき合ってるって?」
「坂崎春菜」
 トモの元カノは言った。
「春菜とつき合ってるの……もしかして、知らなかった?」
「知らなかった」
 僕は、どきどきする胸を押さえながら努めて淡々と、でも正直に言った。
 落ち着け……高木さんに変に思われる。
「はっきり言って、面白くないのよね」
 そもそも、何で僕がこんなに動揺する?  トモだから? それとも坂崎さんだから?
「春菜だって、あたしがトモにふられたこと知ってるくせに」
「ふられたの?」
 おずおずと聞くと、
「そうよ。悪い?」
 開き直ったような口調で彼女は言い、そして突然、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「トモが一人に決めないのはわかってたわよ……あたしだって……いつまでつき合えるのかずっと、不安だったんだから」
 人目も気にせず、涙をこぼしながら彼女は話し続けた。周りの空気が僕たちを見て、興味本位でざわついている。
 僕は困っていたけれど、でも、さっきとは違って、彼女の真っ直ぐな涙と感情が嫌ではなかった。少なくとも、最初の意地悪な雰囲気の彼女よりも、ずっと可愛いと思えた。
「それでも……ずっと好きだったのに……」
 高木容子はしゃくりあげた。ハンカチはもうぐっしょりだったので、僕は仕方なく、紙ナプキンを何枚か彼女に差し出した。
「今、こんなこと言うのはどうかと思うけど、でもトモは君のこと、うるさく詮索しないトコが好きだって言ってたよ。それに、僕の知る限りじゃけっこう続いた方だと思うし……」
 泣いている彼女に、何か言ってあげたくてたまらなかったのは、彼女の気持ちが痛いほどわかったからなのだと思う。そして彼女もまた、僕の慰めのメッセージを受け取ってくれたようで、紙ナプキンで涙を拭き、少しずつ泣き止んで落ち着きを見せ始めた。
「ありがとう……これじゃ八つ当たりよね。でもね、カオルくんならあたしの気持ちわかってくれるんじゃないかと思ったの」
「それは、俺と坂崎さんのコトがあったから? でも、そんなの随分前の話だし」「でも、今動揺してたわよね」
 高木さんは、鋭い所をついてきた。
「それは……俺のことスキだって言ってくれた人だったし」
 僕は正直に言った。そして、それは嘘ではなかった。坂崎さんは僕にとって、その他大勢の女の子ではなかった。トモがいたから、つきあうと言う対象には考えられなかったけれど、気になる女の子ではあったのだ。初めてキスした女の子なのだから……
 けど、この動揺の正体はそれだけじゃない。半分以上を占める、もう一つのこの感情は……ひと口飲んだアイスコーヒーは、まったく味がしなかった。


 僕たちは向かい合って話を続けた。やっぱり味がしなかったけれど、高木さんに付き合って、何度かアイスコーヒーをお代わりした。
 話すのはほとんど彼女で、僕は自然と聞き役になっていたけれど、ショックな気持ちのまま一人で放り出されるよりは、彼女とこうして時間や感情を共有できるのはありがたかった。きっと彼女も誰かと話がしたかったんだろう……
 高木さんの話によれば、二人が近づき始めたのは、どうやら僕がきっかけのようだった。
「春菜がすごく、カオルくんのこと心配してた時期があって、なんだかトモがそういうのをいろいろ、話聞いたりなぐさめたりしてたみたい」
 高木さんはチョコパフェをつつきながら言った。
「カオルくん、春菜にすごく冷たくした事あったでしょ。覚えてない?」
 パフェの長いスプーンで、ビシっと俺を指す。
「あった……と思う」
 思い当たる。あの時だ。僕がトモへの気持ちを持て余して無茶やってた頃だ。「だから、やっぱりカオルくんのせいなのよ……このパフェ、驕りだからね」
 えー、と僕が意義を唱えるのを無視して、彼女はパフェに突き刺さっていたウェハースを口にして、それからまた言った。
「考えてみればさあ、トモがそういう風に女の子と始まるのって、なかったと思うのね」
「そう?」
「そうよ。来る者拒まず、去る者追わず? 来る者は時には拒んでたかもしれないけどね、圧倒的に声かけられるのが多かったよ。それに、トモが誰かの相談相手になるとか考えられなかったし……でも、カオルくんのことだから、トモはやっぱり心配だったのよね」
「そうなの?」
 僕の返答には気持ちが入っていなかった。いつもなら、トモにとって自分は特別なのだと言われたら嬉しいのに、今日は喜ぶ元気が出なかった。
「そうなの、って……なあに、他人事みたいに」
 高木さんは不満をあらわにして、そのあとすぐに真面目な顔になった。
「でも、そういうふうに始まったからこそ、トモは今回、本気なのかもしれないな……って思って。春菜もいつものトモのタイプじゃないし」
「うん」
 僕も同感だった。ショックだったのはそこだ。いつもと違う始まり。いつもと違うタイプの女の子。


 高木さんと別れた僕は、とぼとぼと家への道を歩いていた。辺りはもう薄暗く、思いのほか、高木さんと長い時間を一緒に居たようだった。
『坂崎さんのこと、どうするの? 友だちなんだろ』
 僕の問いに、ちょっと辛そうに笑って彼女は言った。
『やっぱりまだ、よかったねなんて言えないけどね。フラれた身としてはね、気持ちはいっぱい残ってるから』
『……そりゃそうだよ。そんな簡単に切り替えられるモノじゃないし』
『カオルくん?』
 彼女は、まつげがばさばさの大きい目で、僕をじっと見た。
『もしかして、最近失恋した?』
『えっ? なんで?』
 大慌てで問いを返す。僕の思考はかなりダダ漏れのようだった。
『なんか実感こもってるから』
『はは……』
 否定も肯定もせずに、僕は曖昧に笑った。トモの元カノはそれだけで、言葉にできないいろんな事を察してくれたようだった。


 けっこう、いいコだったじゃん、高木容子。
 彼女との会話を思い返しながら、僕はマンションの自転車置き場を出て、エントランスに続く砂利道を歩いた。意味もなくつま先で砂利を蹴って、落ち込んだ気分に、石蹴りはなんて似合うんだろうと、つまらないことを考えた。
 これから家へ帰って、トモの顔を見なければならない。で、どうする? 自然に振る舞えるのか? そして、あいつがここ最近、話があると言っていたのは、このことを告げるためだったのかなと、ぼんやりと気がつく。

 やっぱり、相手が坂崎だから言えなかったんだろうな……

 いっそ、僕も桜子のことを「彼女ができた」って紹介して、そしたらまた、四人でどこか出かけたり、遊んだりすようになるんだろうか。それが自然なんだろうか。トモは、自分によく似た桜子のことをどう思うだろうか。僕は、トモと坂崎を目の前にして平気でいられるんだろうか……
 僕は、ぎゅっと目を閉じて、首をぶんぶんと振って後ろ向きな思考を断ち切った。そして、再び目を開けたとき……
 エントランスの植え込みのかげに、人影が二つあった。いつだったか、同じようなこの場所で、トモと高木容子がキスしているのを見てしまったことがある。エントランスの照明の逆光で、一人の顔はよく見えなかったけれど、もう一人はトモだった。じゃあ間違いない。もう一人は坂崎さんだと妙に冷静に考えていたら、二つの人影は、一瞬重なりあって離れた。いや、一瞬だったのかどうかわからないけれど……トモがもう一人の方に身をかがめ、もう一人は少し背伸びして、そうして唇が触れ合うのを、僕はまざまざと目に焼き付けた。

(何だよこれ)

 笑うしかない、と思った。僕はどうして、いつも、よりによってこんな場面に出くわしてしまうんだろう。
 どうして僕は、一番見たくないキスの場面を見なければならないんだろう……
 どうしてあいつは、僕の目の届く範囲でこういうことをするんだろう……
 かみ合わない、僕とトモという歯車の具合の悪さに、笑うしかないと思ったのに、笑えなかった。二つの人影が離れ、歩き出しても、僕はそこから動けなかった。
「どこ行くんだよ……」
 僕は、そう言っている自分の声を聞いた。
「僕を置いて、どこ行くんだよ、トモ……
 しゃがみ込み、ひざを抱えて、ひざを濡らすものが涙だと気付くのにしばらくかかった。認めたくないけど僕は泣いた。トモを好きになって泣いたのは、これで何度目だっただろうか……。


トライアングル13に続く


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