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桜の季節のアルハイママと杖つきパパ、そしてわたし

5月。北海道の桜の季節、我が家の食卓からは桜が見える。

うちの横は児童公園だ。
過疎化地域の公園は、もう何年も前から遊ぶ子供も居なくて、朽ち果てた遊具はすっかり撤去されてしまっている。しかしながら、そこに植えられた桜の木は立派に育って、美しい。

我が家にとっては、贅沢の極み。
誰も通らない公園側のカーテンを開け放して、花と緑の光景を楽しむ。

アルツハイマーの母は、毎朝、毎晩そこから見える桜を褒め称える。
「こんなに咲いたのは、初めてだねー!綺麗だねー!ありがとう!」
毎年同じように咲いている桜の花も、記憶のない母には、毎日が初めて。

わたしは大抵の場合「そうだねー」と感情も入れずに相槌を打ってしまいがち。紋切型の返答は、おしゃべりAIより劣っているかもしれない。

本当はこの姿勢を見せてもらっているんだよなぁ。とも思う。

その一瞬を、全力で感じて、全力で賞賛する。

この、『いまを生きる』見本が目の前にいてくれることは、ありがたいことなんだ。せめて、わたしも気を入れた返答をしたいものだ。

さて、一方の父は、ちょっと風が吹けば、ちょっと雨が振れば、
「もう桜も終わりだな」と、終わりの方にばかりフォーカスする。
いやいや、まだ咲いてるし。

レジャー椅子を桜の木の下に持ち出して、公園花見をしても、父はあっという間に「そろそろ帰るか」と言う。
わざわざ椅子を出したのにぃ。

なんだろか、この、父母の対比は。

これもまた、生きる見本なんだろうなぁ。
ありがとう。父よ、母よ。


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