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我が家のメニューを巡る小さな攻防

夕食のメニューを決めるのはわたしである。だから本来的には好きなものを好きなタイミングで食べることができる。でも家族一緒の食卓はそう簡単ではないね。世の中の主婦って大変なんだと最近しみじみ知りました。

年老いた父母の舌はとっても保守的で、馴染みのあるメニューが好き。しかも歯が弱ってきているので、噛みやすいものというのが前提条件になる。二つ年下の弟も、「俺ももうおっさんだから、あっさりした和食がいい」のだそうだ。かくして、北海道の港町にある我が家の食卓は魚が中心になる。刺身、焼き魚、煮魚、刺身・・・
時々こってり系や、揚げ物が食べたくなるのは、お肉の国のアルゼンチンから来たわたしだけらしい。

人気のないメニューは完食率が悪い。悪いけれども、時々暴挙に出るわたし。自分が食べたいメインメニューに、申し訳程度の刺身を副菜にする。そんなわたしを弟は「すごいよなー」という。
彼は、炊事を一手に請け負った約一年で、神経をすり減らしたのだそうだ。一生懸命に栄養バランスを考えて頑張って作った料理を、食べてもらえなかったときの痛手は激大きく、そのガッカリ感はずっと消えなかったらしい。後半はもう頑張る気力は失せて、ウケの良いの刺身、海鮮丼、煮魚のローテーションを長らく続け、もはや、自分が何を食べたいのかも分からないと言う。
そんな彼からすると、家族の顔色を物ともせずに、自分の好きなものを食卓に出すわたしのこの図太さが「すごい」のだという。

いやいや、これでもだいぶ譲歩していて、ワガママするのは本当に時々だけなのだけどね。調理は母と一緒にやるので、洋風のメニューも小さい頃から我が家の定番だったものに限定している。アルツハイマーの母も昔の記憶は健在なので、それだと調理もスムーズ。必要なものを手元に揃えて、手順が混乱しないようにだけサポートすれば、母の調理技術は現役のままなので、こちらが見習うこともまだまだ多い。料理は母の生き甲斐だし、脳に刺激を与えるエクササイズとしても大事だから、突飛なメニューで彼女のアタマを混乱させるより、馴染みの手順のものを優先する。

わたしとしては本当はココナッツミルクを使った味付けとか、塊肉のワイン煮とかも食べたいけれど、そんな奇抜なものは我慢してるであるよ。春巻きは好物だけど、揚げ物+硬いので却下メニューだし、トンカツみたいな揚げ物+肉の塊なんてあり得ないしねぇ。

そうして今日も、揚げ物だけれども柔らかい、妥協点のジャガイモのコロッケくらいに落ち着くのだ。

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