ルーブル美術館の思い出

1997年2月(多分)
親が買い物ついでの抽選でフランス旅行に当選してしまい、フランスへ旅行に行く事になった。当時まだ8歳だった私をはじめ、兄12歳、弟6歳の子供達を3人も連れてフランス旅行に行くのは大変な冒険だったろうと、今となっては思える程度には大人になれた。そんな滅多にない機会を得たものの当時幼かったために記憶があまり残っていないのが悔やまれる。

しかし、ベルサイユ宮殿に行ったり、凱旋門に上ったり、エッフェル塔に上ったり、オルセー美術館に行ったりした中で、ルーブル美術館についての思い出はおそらく忘れることがないだろう。

実物のモナリザは案外小さかったことや、モナリザのある部屋ではみんなモナリザばかり見ていたことなど小さなエピソードもあるものの、個人的に一番印象深いエピソードはお土産屋さんで「ルーブル美術館すごろく」を買ったことだろうか。

このルーブル美術館すごろく、多分当時にしては多分珍しく完全な日本語訳付きで、マスにいちいち美術品が書いてあり、特定のマスでは美術品のテーマに応じて一回休みとか振り出しに戻るという効果がついていて、なかなか面白かった。特にゴールの少し手前の『ピエタ』(振り出しに戻る)は、とても調度いい位置に配置されており、ゴールにちょうど到達しないといけないというルールと相まって何度も踏むことになってしまうという…今もあるのだろうか?

これを買おうと決め、単語帳の中から「donne moi ce ci.ドネモア セシー(これを下さい)」という単語を探し出し、親からお金をもらい意を決して売り場に行き店員さんに一言。

「ドネモア セシー」

するとちょっと太ったおばさん店員さんに大ウケで色々とフランス語で言ってきたり、他の店員さんを呼んだりして凄く大笑いされてしまった。何が起こっているのか全く分からぬ。そんなに笑うこともないだろう?
今思えば「ちょっと来て!小さい外人の子が『コレヲ クダサァーイ』って言ってるわよ!」みたいな感じだったのではないかと思うが、詳細は今となっては知る由がない。

困惑していると店員さんが「donne moi」と言ってくる。発音を直してくれようとしてるのか???

「ドネモア セシー」
「donne moi」
「ドネモア」
「donne moi」
「ドネモア…?」
「donne moi」
「セ、セシー…?」

何か言うたびにいちいちウケるのでたじたじになりながらも、何とかすごろくを売ってもらうことができた。どうしていいか全く分からないまま何とか目的を達成することができた。

「donne moi ce ci.」をめぐる小さな大事件、これが私のルーブル美術館に関する最も印象深いエピソード。

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