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生きることについて。

ここ二、三年の間にぼくは、国境や言語、世代、ジェンダーを越境することによって、また越境している人やそれらの枠を超えないで生きている人を目にすることによって、人にはそれぞれの生き方があるのだということを自分の肌で感じてきた。それを「生き方が多様化してきている」のだとする見方もあるのだろうが、ぼくとしては、もともと多様であったものがインターネットや社会運動を通して、その本来の在り方を取り戻しつつあるのではないか、と思う。ツイッターを追っていると、人々を国家間の取引や争いのための道具(生きている存在としては看做されない)として画一的に育て、彼らの未来を蹂躙することをなんとも思わないような権力の形に、疑念と怒りを表明する動きがかなりはっきりと見てとれる。スウェーデン出身の環境活動家グレタ・トゥーンベリは「世界は目を覚ましつつある」と演説で語った。彼女は環境問題について言及するなかでその言葉を発したわけだが、人々が目を覚ましつつあるのは決して環境問題に限ったことではない。この社会のうねりを中途半端に殺してしまわないためにも、特にぼくと同じような若い人々は、それぞれがすでに表現者なのだという意識と覚悟を持って、自らの生そして他者の生と向き合い、闘争を続けていかなくてはいけないと思う。

しかしながら、それはぼくと同じ世代の多くの人々にとってすごく難しい。無論ぼく自身もその例外ではない。この現実を生み出している要因はたくさんあると思うが、ここでは、そのなかでもぼくの目に際立って映るものについて書いてみたい。一言で表すとすれば、それは「現在からの乖離」だ。

最近「T2 トレインスポッティング」を見直した。暴力やドラッグの描写、ひりつくようなストーリー展開、あざやかな映像の連続に魅せられて、以前観たときは相当のめり込んだものだったが、時間が経って見返してみたらただの「男のための映画」にしか見えなかった。映像が美しかったのは変わらなかったが、女性の登場人物が男性の自分勝手な理想だけで捏ね上げられたようなスカスカ具合だったことなど、この前は気がつかなかったことをいくつか発見できて面白かった。その内のひとつに「眩い過去への郷愁」があった。

スーツを着込んだ登場人物ふたりが、新しいビジネスを始めるための融資を受けるために、専門の議員だか委員だかを前に起業理念をそれっぽく語るシーンがある。そこでレントン(ユアン・マクレガー)は、その土地の産業や人々が活気づいていた時代を目いっぱいの郷愁をこめて振り返り、我々の事業によってあの時代を取り戻すことができるのです!みたいなことをべらべらと喋りまくる。それを観ていたとき、ぼくの胸にひっそりと、しかし長い間引っかかっていた違和感がふと頭をもたげた。

「何十年か前を遠い目をして振り返りながら、その時代を取り戻そうとする人を時折見かけるけれど、彼らはどうしてそこまで過ぎ去った時間に固執するのだろう?そしてなぜ、ぼくはそんな彼らのことを、否定しがたいほどに羨ましく思っているのだろう?」

そんなことを考えていると、ノエル・ギャラガーが最近のインタビューで言っていた台詞もどこからか思い出された。「90年代はただただ素晴らしい時代だった。今とは違う時代、何もかもがうまくいっていた時代だった」。これまでであればさほど考えることもなく頭の片隅に放っていたその言葉が、今回はたまたま普段のとりとめのない思索と絡まって、意識の地表までふらふらと降りてきた。そこでぼくが考えたのは、「時代を生きること」と「現在を生きること」の違いだった。

ふたつは密接に繋がってはいるが、同義ではない。時代を生きるとは(意識的にしろ無意識的にしろ)その時々の社会情勢や価値観と自らの体験を一体化させながら生きるということで、現在を生きるとは、それよりもずっと個人的な意味合いが強い生き方、すなわち社会によって存在している自分ではなく「生きている人間としての自分」に重きを置き(ここでは社会と自分との間に距離があり、社会は共存する存在として、或いは批判の対象として立ち現れる)自らが選び取った価値観のもとで、自らを絶えず定義づけながら生きるということだ。

言うまでもなく、人の生き方をどちらか一方にきっぱりと振り分けることはできないし、ある時代を生きた人々が皆共通してどちらかの生き方を選ぶと決まっているわけでもない。加えて、時代を生きた人々には自分自身で選択する能力がなかったのだと言いたいわけでもまったくないし、現在を生きるといっても、社会からの干渉を完全に撥ね退けて生きることなど到底不可能である。それでも、生き方を考える際に上述のような視点を持ってみることは何らかの場合において、特に「現在からの乖離」に立ち向かう場合において役に立つのではと思う。

まず時代を生きていた人々、すなわち過去の一時代を強いノスタルジーとともに振り返る人々にとって、その過去は二度と戻ることのないその人の一部なのではないか、とぼくは思う。それはその人のアイデンティティと隙間なく一体となって、その人にとってとても繊細な部分を占めることになる。しかしそれは結局のところ「時間」であって、時間というものは過ぎていくものであるから、歳を重ねていくにつれて徐々に心から剥がれていく。ガムテープを剥がすように音を立てて、そしておそらく、自分という存在の欠片を少なからずくっつけて。大切な居場所(があったところ)であり、また自らそのものでもあったものを失うからこそ、彼らは憂い、恋しさに目を細めるのだ。

より批判的な見方をするのであれば、彼らが過去を懐かしむのは、その時代は自らの特権性を意識しなくて済んだから、或いは社会の在り方が自分が居心地よくいるのに都合がよかったから、と言うこともできるだろう。たとえば、LGBTQ関連の話題が持ち上がるたびに「もううんざりだよ、聞き飽きた。日本ではみんなこんな風に話したりしないだろう? もういっそ日本に引っ越したいね」とジョークのつもりで言っていたぼくのホストファザーがその好例であると思う。(なんか書いていて思ったけど、これがいちばん根っこにあるんだろうな。郷愁に浸っている人のなかには認めない人もいるだろうし、かといってぼくが完全に正しいというわけでもないけれど、女性やLGBTQが権利を主張することに嫌悪や怒り、侮蔑で対抗しようとする人々には、彼らが懐かしむものを「奪われた」という感覚があるのだろう。時間が必然的に持ち去っていった、或いは見直されるべきものが見直された、というのではなく。)ある種の郷愁は、社会における自らの存在がゆらぐ恐れのない時代を生きていたからこそ手に入れられたものなのだと思う。

それでは「現在を生きる」とはどういうことなのか、時代を生きるのとどう違っていて、その生き方から何が見えてくるのかについて述べたい。先に書いた通り、現在を生きるとは社会と自己を同化させず、自らを導く価値観を主体的に選び取り、社会の在り方に対して批判的な目を向けながら生きるということだ。これに加えて、自らが経験する感情、とりわけ哀しみや寂しさをその都度感じ切って生きるということもここでは含みたい。そうすると「現在からの乖離」がくっきりとした輪郭をともなって現れてくる。

ざっくりとした言い方をするので正確ではないだろうが、ぼくの世代までは、日本で生きるということは多くの人々にとって比較的単純なことだったのではないかと思う。終身雇用が当たり前で、性別役割分業は幸せの形だと捉えられ、セクシュアルマイノリティは存在しないか、いるとすれば病気だと思われていた時代。すなわち、皆が同じように生きることが良しとされていた時代である。それが存在していたことは、今でも其処彼処にみられる同調圧力にはっきりと表れている。そしてそういった時代が成立していたということは、すなわち固定化した価値観がその時代の人々を一様に導いていたということでもある。では、そのように多種多様な人々をいっぺんに導くような価値観は今でも存在しているのだろうか? いや、仮にそういった価値観が今でも残っているとして、それがうまく機能する時代をぼくらは生きているのだろうか?

答えは否だと思う。というより、そもそもぼくらより前の世代においても、たとえ目立った反論が出てこなかったとしても、そのような価値観がうまく機能していたと言い切ることはできない。なぜなら、当時の「幸せ」や「当たり前」によって押しつぶされたり、無視されたり、なかったことにされた声が数え切れないほどあったはずだからである。現在という時代、つまり冒頭に述べたような、もともと多様であった生き方がその本来の在り方を獲得しつつある時代の台頭は、そうやって周縁化されてきた声が過去にもあったことを如実に示し、その過去をずるずると引きずって歩くのを終わりにして、新しい時代を始めようとする動きが確かにあることを示している。

そうやって個々人の選択が以前よりもいくらか尊重されるようになったわけだが、これは翻せば、現在に生きるぼくらはお互いにその正しさを確認し合えるような絶対的な価値観を共有していない、ということになる。実際インターネット上では、リベラル派と保守派、それぞれの極派、いずれにも当てはまらない立場を取ろうとする人々の意見が四六時中、あらゆる方向から投げ交わされており、その最中で自らの立場を定めるのには、知識がなければないぶんだけ苦労を要する。情報の正否を判断し、選び取る役割を担うのは自分自身であり、社会一般の価値観ではないからである。

つまり端的に言えば、今までのようにはもはや生きられないということなのだ。ぼくらが模範とするようにと教えられてきた親の世代、現在四、五十代の世代は、実際のところ生き方の当てにはもうほとんどなり得ない。それでも足跡のない道を進むのは不安なので、幸福がその先に望めないことは頭の隅で直感的に理解しつつも、なんとなく周りが進む方向へ歩いていく。自分の足音を他人のそれに紛れさせ、どこかに潜んでいる鬼のような何かに気づかれないようにするみたいに。

ここに「現在からの乖離」がある。時代を生きることによって得られるある種の安心感を親世代にみとめながら育ってきたぼくらの多くは、二十歳を過ぎたあたりでそれが得られそうにないことを悟る。それは自らの意思にもとづいて選択し行動することが昔と比べて容易になったことを表しているものの、特に教育の過程において、それが実行可能であると思わせてくれるような機会がひどく乏しかったために、ぼくらは現在(自らの考えや意思、社会規範への批判、個人の感情の尊重などがあるところ)を生きることを半ば諦め、存在しない時代、画一的な価値観が優位にある時代の虚構を自分たちの間に作り出し、それを生きようとしている。

ぼくが過去に深い郷愁を覚える人々のことを羨ましく思うのは、ぼくも少なからずこの側面を共有しているからだと思う。要するに、自分が生きている時間に居場所がほしいと思っているのだ。二言三言で表せるような分かりやすくて明るい時代に根をはって、落ち着きを得たいと心のどこかで思っている。しかし、今という時代を表そうとしてみて思い浮かぶ言葉は「混沌、闘争、滅茶苦茶」などで、どれも分かりやすくないし明るくもない。だけれど、このように感じている人は、きっとぼくだけではないはずなのだ。お手本を失い明日すらよく見えない暗闇の中を、多くの人が彷徨っている。ただ現在だけを胸に抱えて、時折立ち止まりながら、光が射すかもしれない方向へゆっくりと歩を進めている。

そう、ぼくらにとって確かなものは「現在」だけなのだ。かつて良い意味でも悪い意味でも人々を引っ張っていた価値観はぼやけ、ただでさえ不安だというのに四方八方からさまざまな言説が聞こえてくる。きっとこの先も考えなければならない事柄は急速に増えていって、その度に事象は複雑化していくのだろう。それでも、「現在」がぼくらとともにあることだけは変わらない。ぼくらが感じ、考え、学び、感動し、悲しみ、憤り、そして刺すような孤独に流れない涙を流す「現在」だけはなくならない。どのような時代であっても、時代の急激な移り変わりに、居場所を奪われてしまったような気持ちになったとしても。

「現在」こそが、ぼくらの世代にとっての居場所なのだ。だからこそ、現在からの乖離、すなわち自らの意思や感情を蔑ろにし、かつて存在した共通の価値観なるものの残像に自分の居場所を見出そうとするようなことは、お互いに勇気を持ってやめなければならない。そして現在を愛するのだ。これは決して、不当な社会制度や非人道的な行為をすべて容認し、あるがままにさせようと言っているのではない。ここに於いて「現在を愛する」とは、現在が擦り切れるくらいに生きるということである。それはたとえば、周囲の目や反応を気にして飲み込んでいた思いを口に出すということ。或いは、傷ついていないふりをして自らをかばう代わりに、傷ついていることを認め、そんな自分を抱きしめてあげること、そしてできれば誰か信頼できる人にも抱きしめてもらうこと。自分含めほとんどの人間は未熟で矛盾した存在であることを受け止めること。灼けるような孤独を適当にやり過ごしてしまうのではなく、一旦手を止めて感じること。自然が提示する愛を受け取ること。誰かが傷つけられているのを目にしたときには、ただその人のためだけに声を上げること。そして、人を愛するのを恐れないこと。

時代を生きた人々が経験したような時代を、ぼくらは知らない。あまりにも昨今の時の流れが早すぎて、そこに居場所を見出だすことができないからだ。つまりぼくらにとって、彼らが経験したような居場所は存在しない。それでもぼくらはここに存在していて、現在を生きている。それがぼくたちの生きる意味であり、生きる意味の在り処なのだ。ぼくらの生を、他の誰でもないぼくら自身で祝福できるような現在を、あなたと一緒に積み重ねていきたいと思う。


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