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忘れじのスーパーマーケット

夏が来ると思い出すことがある

まだ幼い頃、毎年夏休みになると新幹線に乗って
母方の祖父母の家に遊びに行っていた

祖父母の家は仙台市の郊外にあって
周りを田畑に囲まれたのどかな場所だった

叔父や叔母に連れられた従兄弟たちと合流して
毎日、虫取りやらプールに行ったりして
宿題も忘れて遊びつくしていた

そんな中、近所にあったスーパーにおこずかいを持って
従兄弟たちと買い物に行くのも楽しみの一つだった

「エンドーチェーン」

スーパーはそういう名前だった


エンドーチェーンは当時、仙台に本社があり
宮城県内ではとても有名なスーパーだった

エンドーチェーンはテレビCMもたくさん流していた
確か、動物モチーフのオリジナルキャラクターグッズもあって
母に、買ってよ!とせがんだけれど
「そんなお金はないよ!」と却下されたことを覚えている

仙台駅前に一番大きな本店があって
そこでは子供でも楽しめる面白そうな催事がよく行われていた
その本店はスーパー主体の他の支店とは異なり
百貨店的な性格をもったそんなお店だったと思う

当時としてはかなり画期的な経営方針で
マスコミ関係の売り込みやイベント開催に力を入れていた

日本中で有名な芸能人や文化人を呼んでのイベント多数
派手に目立ってなんぼですという感じのスタンス
実は、気軽に会いに行ける芸能人という概念の
先駆けだったかもしれない

現在でもこういうアミューズメント的な経営をしている
スーパーマーケットは聞いたことがないし
これからも多分出てくることはないだろうと思う


ある日、従兄弟が自慢げに一枚の紙をひらひらさせていた

「何?それ」

「これはさ、仙台駅前のエンドーチェーンのイベントで
アイドルの○○ちゃんが来た時に配っていたパンフレットだよ」

○○ちゃんは当時、日本中で有名アイドルだった

「ええーっ!私も行きたかったー!!」

「可愛かったなー、○○ちゃんは」

従兄弟は嫌味ったらしくパンフレットを
私に見せつけ笑いながら去って行った

今にして思うと地方のスーパーマーケットに
全国区のスーパーアイドルが歌いに来るなんて
なかなかの一大イベントだったと思う

そんなすごいイベントを普通に行っていた
エンドーチェーンって
すごいコネクションと資金力があったのだなと感心する

さらに、当時有名だったドラマの撮影地に
エンドーチェーンが使われたと聞いて驚いたのだった


そんな楽しい夏休みから月日は流れ
私は高校生になっていた

祖父母も既に他界し、私自身も学校行事などの関係で
仙台を訪れることも少なくなっていた

その年は、親族の法事で久しぶりに祖父母の家を訪れていた

「パンとお菓子を買ってくるか」

私はいつものように「エンドーチェーン」に買い物に行った

さぁ、着いたかな

私が見上げたその先にはエンドーチェーンではなく
別の某大手有名スーパーになっていた


私はその時、なんだかものすごいショックを受けた

思い出が私の心をすりぬけて
遠くに行ってしまったみたいである

いつか、あの動物キャラクターグッズを
自分のお金で買おうと思っていた

いつか、本店のイベントで
本物のアイドルを見ようと思っていた

いつか、本店の催事に行って従兄弟たちと
わいわい騒ぎたいと思っていた

エンドーチェーンはいつだって私の隣に
存在し続けると思っていた

私はふらふらと、その「エンドーチェーン」だった
スーパーに入り、パンとお菓子を買って帰ったのだった


今にして思うと
企業の倒産でこれほどまでにショックを受けたのは
これが初めてだったかもしれない

実際のところ、エンドーチェーンの本社は
倒産していなかったのだけれど

当時の私はエンドーチェーンが倒産したと思いこみ
すっかり落ち込んでしまったのだった


それからさらに年月がたち
私は社会人になり東京の会社で働いていた

東京や、関東出身者にこの話をしてみたところで
誰もエンドーチェーンの存在を知らないだろうし
話すだけ無駄だろうなと思って
誰にもこの話はしたことがなかった

ずっと後になって知ったのだけれど
エンドーチェーンは都内にも一店舗が存在していたらしい
知っていたら私は行っていただろうし
誰かに話をしていたかもしれない

本当はエンドーチェーンの思い出を
誰かと共有したいなとずっと思っていたある日
仕事の関係で知り合った秋田出身の女性に
思い切ってエンドーチェーンの話をしてみた

彼女はこう言った

「さぁ、そういうスーパーは知らないわね
少なくとも私の実家のそばにはなかったと思うよ」

なんだかものすごくショックだった

東北出身者なら知っているかもと思っていた
私の淡い期待は裏切られてしまったのだ

それ以降、私は誰にもエンドーチェーンの話を
することはなかったのである


始まりあるところには終わりがあるし
形あるものはいつしか別の形に変わってしまうものである

それは頭では分かっているんだけど
なんだか寂しい気持ちになる

時代の流れというものの早さに
エンドーチェーンは追いつくことが
出来なかったのかもしれない

現在、エンドーチェーン本社は
スーパーマーケット事業からは撤退して
不動産業を主に事業を展開しているようである

誰も知らなくても

私だけが知っているそんな宝物があってもいい

エンドーチェーンは私にとって
ただ、物を売るスーパーマーケットではなく
キラキラした楽しい夢の破片を売っていた
今でもそんな存在なのである

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