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もう一人のおばあちゃんと百日紅

小学校のとき、うちの祖父母の家は高台にあった。その庭には様々な樹木がうわっていたが、子供心には、地味な樹木ばかりという印象だった。マキノキとかツゲとか、目立ったお花も咲かない。

庭の外周の柵から下はちょっとした崖のようになっていた。そのため庭からは右側にある山々や正面に広がる空が、視界を妨げられずに見えた。

柵の手前に、一本の百日紅があった。わたしが小学校低学年のときでおばあちゃんの背丈の3倍以上はあったから、今もあればどんな様子になっているだろう。その百日紅は、夏になると毎年濃い桃色の花をつけた。花びらが一つ一つがフラメンコ衣装のスカートの裾みたいにひらひらしていた。木肌は皮が所々剥がれていて、剥がれたところは木目が細かくすべすべしていた。

「百日紅はね、こうやって撫でると、くすくす笑うんだよ、」

毎年のように、その百日紅の幹をさすりながら、おばあちゃんはわたしに話した。わたしもそのお話が大好きで、庭に出ると、おばあちゃんがその話をするように誘導した。そう、百日紅のそばに行って、幹に手を伸ばしてさすってみせる。

おばあちゃんが、その百日紅の幹をさすると、本当に、樹のてっぺんの方がさわさわと動いた。お花の花びら同士がぶつかって、さわさわ、さわさわ、と音がする。

くすくす、くすくす、くすぐったいのかな。喜んでるのかな。毎年夏になり、百日紅が咲きだすと思い出す話。


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