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戯れ。

 “戯れ”。
 国語のことを勉強だと思うことなく。言葉たちとの“戯れ”だと、ずっとそう思って歩いて来れたのは紛れもなく母のおかげだと感じる私を、湿度80%の風が追い抜いて行きました。肌に張り付くじめっとした質感も、言葉にしてしまえば、案外カラッとするもので。紙の上では、再現度も、載せる想いの量も…全て私に託されているのだと改めて感じます。託されているかと言っても、なんでも思い通りになるわけではないのが、書くことの面白さで。言葉たちに試されているように感じることが多いのが現状です。

 母が私の手を引き絵本の世界に連れて行ってくれたことをきっかけに、私の日々はいつだって言葉と共にあります。毎晩5冊以上の読み聞かせは、大変だったでしょう。母にはとても感謝しています。柔らかで、あたたかくて、頼もしくて。私は、彼らに合わせて変えられていく母の声が大好きでした。ふざけすぎて私が余計に起きてしまったという父の読み聞かせも、思い出すと懐かしくて涙が出そうになります。間抜けなたぬきも、聡いうさぎも。カニも。サルも…みんな私の大切な仲間でした。彼らはいつだって、遊びに来た私に手を振って、笑顔で迎えてくれるのでした。私にとって、彼らは。大好きで、決して裏切らない最強の仲間だったのです。私に、たくさんの仲間とのつながりをくれた両親に感謝の想いでいっぱいです。
 私が言葉とこんなにも仲良しなのは、読み聞かせだけではありません。後で聞いた話によると、両親は母のお腹に向かい「みにおくん(生まれるまで男の子だと思われていたそうです)」とたくさんお話をしてくれていたようです。私がこんなにも、言葉たちが大好きなのは、紛れもなく両親のお陰なのです。


 私は今、地元を離れて先生をしています。生徒たちと国語を学ぶこともあります。私はみんなと国語を学ぶことがとても楽しくてしかたないのですが…「国語は嫌い」と。素直に顔をしかめてくれる生徒もいます。そんなとき、彼らによく伝える言葉があります。
 「国語はね、一番自由で。そして、みんなの個性が尊重される世界なんだよ。だからね、私の授業では、みんなの想いを大切にして欲しいの。みんなの素直さ、そしてみんならしさで溢れる時間にしてほしいな」
 と。言葉たちは、私たちを受け入れてくれます。些細な気づきも、こうしたいと思う心も。そして、それを分かち合うことのできる世界なんだと。私はそう信じています。国語を好きにならなくてもいい。でも、知っていて欲しい。みんながみんなで良い世界が、こんなにも近くにあることを。

 言葉たちとの“戯れ”。
 言葉たちに振り回されてしまう、そんなときもあるかもしれません。それでも、言葉たちが大好きで仕方ないのは、私の大切な“想い”を伝えるお手伝いをしてくれるから。だから、私はこれからも言葉たちと“戯れ”続けていきます。そして、その楽しさと喜びを。少しずつ、私の言葉でそっと。伝えていきます。
 そう、私の大好きな両親がそうしてくれたように。

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