見出し画像

学校の鉄棒で、諸行無常を学んだ話。

 こんにちは、スミレです。
 なんだかよく分からないタイトルになっていますが、書くのはただの、小学生時代の体育の話です。

 今通っている通信制高校には、体育の授業がありません(レポートは除く)。
 喘息も関係して運動がてんで出来ない私ですが、ふと「小学生の頃は体育好きな子供だったよなぁ」と思いまして。

 持久走あるあるの「走る〜転ぶ〜血が出る〜」の替え歌をクラスメイトたちがさらに改変、どのパターンを聞いても助からなかったな、とか。
 サッカーの授業で、生まれて初めて骨にダメージ入るタイプの怪我を経験したな、とか。
 マット運動はただひたすら楽しかったな、とか。
 キックベースは最後までルールを覚えきれないままだったな、とか。

 まあ色々ありますが、一番、癖が強いと言いますか、毛色が違う思い出がありまして。それを要約したのがタイトルの通り、「鉄棒で諸行無常を学んだこと」になります。


①小学1年生の時

 鉄棒があった一角は、校門を出入りする人や車の様子がよく見える位置にありました。鉄棒の前に列を作って順番を待っている間、門の前を通る何かしらを眺めていることが多かったです。

 逆上がりだったか、それより簡単なやつだったか。覚えていませんが、自分の番が回ってきたので練習していた時、担任の先生が言いました。

「あれ、スミレのお母さんじゃない?」

 え?
 と思って校門の方に目を向けると、確かに私の母がいました。いつも家事をしてくれている時のラフな格好で。
 先生が駆け寄って二言三言と話した、かと思えば、すぐに私も呼ばれ、そのまま教室に向かっていました。クラスメイトたちは鉄棒の練習を続けるよう指示されていました。

 教室に着くまでの道すがら、母から伝えられたのは祖母の訃報。
 遠方に住んでいた祖母なので、葬式に出るにもすぐ新幹線に飛び乗らなければいけない、とのことで。
 誰もいない教室で、体育着から私服に着替えていたのを覚えています。担任と母は確か廊下で話していたかと。

 聞く人によっては暗い話に感じられるかもしれませんが、私としては、新幹線に乗る前のフェーズではそうでもありませんでした。
 何せ私の脳内では鉄棒が強調された状態で記憶されていますから。いやなんでよ、授業中の親フラがそんなに印象深かったのかい、私の脳みそよ。

 ちなみに、実際に葬式が始まってからはギャン泣きでした。そこまで思い出話が進めば、鉄棒の「て」の字も出てこなくなります。
 その後に祖母に対して感じたことは『祖母について考えた話』に書いているのでここでは省きます。

 鉄棒なんかがでしゃばってくるとは。解せない部分はありますが、もう1つの思い出につながる伏線だったと思えば、まあ面白い話になると思います。


②小学4年生の時

 この年の、ちょうど鉄棒が始まる頃。体育の授業の時に助手の先生が来てくれるようになりました。

 担任の先生は、口頭で授業の説明をし、基本は一歩引いた位置から児童たちを見守って。
 助手の先生は、お手本として実演したり、児童たちへのアドバイスのために動き回ったり、休み時間はたまに遊んでくれたりして。

 これまでとは違ったスタイルの授業になりましたが、何故このスタイルになったのか、私は全く疑問に思いませんでした。
 クラスメイトたちもそんな様子だったと記憶しています。何せ我がクラスは人懐っこいようなところがあったので、新しく異動してきた先生や教育実習の先生とも秒で仲良くなっていました。助手の先生も例に漏れません。

 学校生活を楽しくしてくれる先生が増えてラッキー、くらいにしか考えていなかったのですが、ある日の帰りの会で真相が明かされまして。

担任の先生
「実は先生、今お腹に赤ちゃんがいるの」

クラスメイト
「「「え〜〜〜〜〜〜〜〜!?」」」

 いやあ、もうほとんど絶叫でしたね。
 だって本当に分からなかった。子供らしく安直な思考で、妊婦さんといえば大きなお腹、としかイメージがなかった時の話ですので……。
 ちなみに私は、叫びはしませんでした。あまりにも予想だにしなかったことなので、脳内処理が追いつかずフリーズしただけなんですけど。

 児童らが落ち着くまで待って、担任の先生が話を続けます。

担任の先生
「だから〇〇先生(助手の先生)が来てくれるようになったのよ」

 ……確かに、妊婦さんが逆上がりするとか、正気の沙汰じゃない。

 年度が変わり5年生になる年には、その先生は産休・育休に入りました。そしてごく稀に、産まれた赤ちゃんを連れて学校まで来てくれました。
 間近で赤ちゃんなんて見る機会がなかったし、今もないんですけれど、ホントにちっちゃい。
 爪を見てビックリしたんですよ、自分のと見比べると、本当に同じ爪なのかと疑いたくなるくらい。あのサイズでも爪として成立するんやな……なんて意味不明な感想を抱いたものです。

 この思い出も、発端が鉄棒って、もう鉄棒ってなんなのさ……。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。
 私が人生で初めて人の死に触れたのも、人生で初めて人の誕生に触れたのも。
 どういうわけか、学校の鉄棒を切り離して語ることができません。本当にどうしてこうなった。
 もう鉄棒って文字を打ちすぎてゲシュタルト崩壊しそうです。これがお花とかだったら、おしゃれな話になったろうに……。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。



(余談ですが鼻風邪はすっかり治りましたし、腰痛は2023年のうちに治しました。報告が遅れてすみません)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?