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祖母について考えた話

 こんにちは、スミレです。
 今年の10月に祖父が亡くなり、それに引っ張られているのか、来年で一三回忌の祖母のことをよく「考える」ようになりました。それについて書いていこうと思います。


多分、好き

 私は祖母のことが、多分好きです、多分。
 というのも、私が祖母について覚えていることがほとんどないのです。小学1年生の時に亡くなり、それ以前から寝たきりだったからでしょう。
 直接見た顔も、直接聞いた声も、全く覚えていません。だから「思い出す」のではなくて「考える」のです。
 祖母がどんな人物だったのかであれば言えます、両親から聞いた話ですが。
 お習字の先生で、絵がめちゃくちゃ上手で、お花をよく描いていて、ごく稀にギターを弾いていた。


祖母が描いた絵です
全体を載せていいのか分からなかったので、
至近距離で失礼します

 凄い人だったというのはなんとなく分かるのですが、私が直接関わっての記憶は全くと言ってもいいほどに無いのです。
 小さい頃はお盆休みも年末年始にも帰省していたのですが、祖母が自室から出てくることはあまりなかったし、私から入ることもなかった(と思う)。
 祖母が亡くなって数年経ってから、転移しまくる癌と戦っていたと知りました。……そういえば、祖母のお葬式では私だけ骨上げしてないんですよね。父は「人は死んじゃうとただの骨になる」と教えたかったそうですが、祖母のお兄さんが「まだ小さいしショックを受けてしまうかも」と言ったことで、私だけ廊下で待機していました。

 祖母が好きか嫌いか、2択で聞かれたら、好きだと答えます。しかし思い出もないのに好きと言っていいのか、気になってしまうとグルグル考え込んでしまいます。noteに吐き出せば気が楽になるかな?
 というわけで、私の口から語ることができること2つを書いていきます。

①笑ってはいけなかった大晦日

 小さい頃は、父と母と私の3人で川の字になって寝ていました。祖父母の家に帰省してもこのスタイルでした。
 特に年末年始は、布団を敷いて、寝巻きに着替えて、テレビで「ガキ使」を見るのが恒例でした。ちなみに別室で寝ていた祖父は「紅白」派でした。

 笑ってはいけない。それは画面の中の芸人さんたちだけではなく、私たちも同じでした。
 なにせふすま一枚を挟んだだけの隣室が、闘病中の祖母の部屋でしたから。夜中に騒がしくするなんて言語道断です。
 幼いなりにあの番組を楽しんで、息苦しくなりながらも静けさは保って、私だけ先に寝落ちる。両親は最後まで視聴していたんじゃないですかね、多分。
 番組を作っていた人たちは、おそらくテレビの前ではしゃぎながら視聴されることを想定していたと思います。それなのに私たちときたら、部屋の電気も消して、笑わないように震えているだけ。こんな家族はウチくらいなものではないでしょうか。

 祖母が亡くなった後も、紅白派の祖父に遠慮して笑わないようにしていました。祖父が亡くなる以前から帰省する機会が減り、関東の自宅でテレビを見るようになった頃には笑いを堪えることが癖になり、いつの間にか放送されなくなって……あれ、祖母じゃなくてガキ使の話になってしまった。切ない。

②裏紙と2Bの鉛筆

 今度こそ祖母の話をします。
 私がはっきり覚えているのは、カレンダーの裏紙と鉛筆です。紙の表面にはモデルさんが写っていて、鉛筆は抹茶色の塗装に白い文字で2Bと書かれたもの。
 これ、祖母がくれた物です。
 私と母が畳の上でゴロゴロしていた時のこと。私は覚えていないのですが、なぜか「絵を描きたい」とねだったそうで。母が「お義母さんがくれた」と言って渡されたのが、裏紙と鉛筆なわけです。
 祖父母の家にはおもちゃらしい物も無く、団地にある小さな公園には父に連れて行ってもらっていた。室内でできる遊びも多々ありますが、祖母の体調を考えると大人しくしておきたいところ。
 その点、お絵描きって最高ですね。幼い私は嬉々として裏紙に落書きを始めました。何を描いたかは覚えていませんが。

 以来、2Bの、特に抹茶色の塗装がされた鉛筆が好きになりました。
 といっても、その後に入学した小学校では「薄すぎる」ということで4B以上でないと怒られるため、2B好きも薄れていきましたが。今は圧倒的にシャーペン派です。これまた切ねぇ。
 でもやっぱり、裏紙と鉛筆の詳細は覚えているくせに、祖母の姿を自力で思い出せないのは解せない。ちょっとくらい脳内メモリに残ってたっていいじゃないの……。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。
 祖母との間になんの思い出もなかったわけではないと思うのです。幼児期健忘に巻き込まれただけです。母から聞いた「私からのお年玉をそのままおばあちゃんにあげようとした」というエピソードがあるので。まあ例によって記憶にないのですけれども。
 祖母のことが頭によぎる理由としては、私と祖母の共通点が多いから、というのもあるでしょう。
 毛筆は下手だけど硬筆なら得意だし、美術部に入っていた中学時代は3年連続で市から表彰されたし、祖母が弾けたと知らないうちから自発的にギターを習い始めたし。
 隔世遺伝の定義はよく分からないけれど、もしそうだったら嬉しいかもしれないと思う今日この頃です。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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