隠しはするけれど、私は気にしていない話。
こんばんは、スミレです。
書いていいのか分からなかったので後回しにしていた話題があるのですが、書いちゃいます。
生理ネタです、苦手な方は各自で自衛してください。あ、別に女性向けとか男性向けとかもないので、興味本位でも覗いていってくれたら嬉しいです。
……っていう注意書きも、書くか迷いました。
というのもですね、生理って独特な立ち位置にあるようなイメージが私の中ではありまして。
私は常々、生理について話さないようにしていたり、わざわざナプキンを隠していたりしています。ですがふと、なんでそんなことしているんだろう、と思いまして。
例えば最近よく聞くのは、「生理中に学校や仕事を休むことの是非」。
逆に聞きますけれど。
風邪を引いたら、家で休んでいた方がいいじゃないですか。
足の骨を折ったら、階段は避けたほうが楽じゃないですか。
車椅子に乗っていたら、エスカレーターよりエレベーターの方を使うじゃないですか。
アレルギーだったら、食べ残した方がいいじゃないですか。
虫が苦手なら、逃げるか他の人に追い返して貰えばいいじゃないですか。
悲しいなら、泣いたり誰かに話を聞いて貰ったりするじゃないですか。
もちろん上記以外にも、色々ある人生の中で、各自に合う対応を選ぶことなんて、当然じゃないですか。
なんで、生理は別枠なんですか?
風邪も、骨折も、麻痺も、アレルギーも、虫嫌いも。今更特別でもなんでもないのに、なんだって生理はこうも扱いにくい立ち位置に追いやられているのでしょうか?
先ほど、私は生理について話さないようにしていたり、ナプキンを隠していたりしていると書きました。
それは、私が気にしているからではありません。
周りが気にするから、致し方なくそうしているのです。
たまに見かける「女子校あるある」なるもので、ナプキンが宙を舞うとかありますが、逆になぜ、そのほかの場所では剥き出しにしてはいけないような空気が辺りを占めているのでしょうか。
面倒なんですよ、女子だけの空間で嬉々として生理を語り出すノリに合わせるのも、人目を気にしてナプキンをいちいちポケットに突っ込むのも、化粧品ポーチですが何か?的な振る舞いをするのも。
本当になぜ?怪我にあてたガーゼの取り替えには何も言わないのに、ナプキンの取り替えは腫れ物のように扱われるのは。どっちも、変えなきゃいけないのは一緒なのに。
それに、こちらもたまに聞く「生理を乗り切っているから偉い」。
辛さは人それぞれと言えど、乗り切って生きているのは、そりゃそう。
だけれど、生理自体が特別なんじゃなくって、生理に対して当たりが強い風潮が変なんです。
だから正確には「生理に対して当たりが強い風潮を乗り切っているから偉い」と思うのです。
しょうがないじゃん、いつの間にか始まっていたのだから。人生と一緒ですよ、夏休み明けの学校と一緒ですよ。
なんでかなぁ。私が、生物学的には女性だけれど、性自認は『無』だからそう感じる、という側面も、なくはないのでしょうか。
自認の話でいくと、トランス女性の方が避難所で生理用品を要求する話もありましたね。
私としては、ナプキン=女性、ナプキン≠男性という式がピンときません。言うてただの物体相手に何を言っているんだろう、って感じです。
そもそも、必要とされている物を備えきれていないという現状が判明しただけの話ではありませんか。なぜ価値観の否定のし合いを起こさねばならないのか。
色々と書いてしまいましたが、私は別に、生理について大っぴらにしていきたいとは考えていません。ただ、「気にするまでもない話題」まで成り下がって欲しいのです。
いや、それは言い過ぎですかね。必要な時に必要なように話が流れていって欲しいんです。足折って松葉杖なんでバスでは座らしてください、くらい。
ふう、普段吐き出せないことを書けて私は満足です。これで不眠の対処に集中できそうです。お付き合いただき誠にありがとうございました。
急に始まって急に終わる記事になりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
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