心が生まれる場所だから
人と人とを繋ぐツールとしてのsns。
日常の気軽な交流から、今や災害時にまで力を発揮できるコンテンツに成長した。ただその魅力の裏で、最近あまりに誹謗中傷する言葉に溢れていて悲しくなる。
他が為の 矛(ほこ)を収めよ
言(こと)の端(は)を
花束にして
未(ま)だ見ぬ人へ
すみれ
(※詠む時のペンネーム)
自由につぶやく自由。それは誰かを悲しませる事も、幸せで満たす事もできる——
世を見渡せば、困難な事ばかり続いている。思い通りにいかない閉塞感、その鬱憤を、自らの正義感を持って貫き、晴らそうとする。
幾度も繰り返される、誰かと誰かの攻防。しかし、立ち止まって欲しい。そうして失っている事はないのか?数の正義に踊らされてはいないか?
「一体それが何になるというのか」
「どうもしないし、ならないよ」
このナンセンスをわからないなら、snsから離れた方がいい。
どうもならない事をなる事に変えるには、受け手自身の行動にのみ あると思う。
私自身は渦中に苛まれた事は無いけれど、snsに触れるに際して、どこか他人事にしてしまうクールさを持とうと思っている。と同時に、どんなやり取りにも、そこに必ず心が介在する事を、忘れないように心掛けている。
言葉は刃(やいば)にも、花束にもなる。
心の生まれる場所でもあるsns.。
どうか穏やかであります様に。
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