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曖昧な世界を生きている。

今日、友人に私のブログを読んで『私は王』買ったよ!と言われてビックリ🫢
読んでくれて、そんな行動にまでうつしてくれたなんて、、🥹と感動してしばらく放置気味だったブログを再開したくなった。

気づいたら、新学期。

先週はひたすら子どもの小学校用の巾着袋作りに励み狂ったようにミシン掛け。ありとあらゆるものに名前をつけたりして、仕事もあり、この2週間は瞬きかのように一瞬だった。

1週間で6個袋を作った^^;


いつかまた書きたいけど、私はフリースクールか私立の教育方針にこだわった自由な小学校を探して色々とみてまわっていた。映画『夢見る小学校』に出てきた学校に入学させるために新幹線に乗った。
けど、紆余曲折あり、無事にうちから徒歩5分の公立小学校に入学した息子。
何があっても、学校がどうあっても、私がいるから大丈夫だというエネルギーを、そして学校にも光を送り続けてる。

入学式の後。桜満開だった😊


今日は、前からずっと思っていたことを書こうと思う。

ワクチンについて調べていた時、
ホメオパシーの本の一説で
『症状というのは、人それぞれもっている体質や背景によって違う。だから、そもそも〇〇という病気があるわけではなく、“◯◯のような”という方が正しい』
みたいな内容と出会った。
(うろ覚えですみません💦)

要は、
『◯◯という病気がある』わけではなく
『◯◯のような症状をいま体験している』
という方が真実だということ。

私はこの一説にとても感動したし納得した。

私たちは、みんな『〇〇』という病気にならないようにしなくちゃ、と思っているけど
『〇〇』という病気が存在するのではなく、私が、いま、『〇〇』に近い症状を体験しているだけなのだということ。

なんか、こういうことを書こうとするといつも禅問答のようになってしまうけど😅『〇〇』という病気が主体なのか、『私』が主体なのか。“どう捉えるか”でその後体験する世界が違ってくる。

これを読んでからいつも思うのは
私たちは教えられてきたものよりずっと
“曖昧な世界を生きている”ということ。

輪郭が曖昧だからこそ、定義づけるのは一人一人なんだ。

私は基本、勉強はできる子どもだった。頭が良いのではなくて、“勉強ができない”状態🟰この世界のことが“よく分からない”状態で生きるのが不安で、人よりもたくさん勉強した。
でも、そもそも“よくわからない”状況が自然なんだ。
よくわからないから、自分で描いていくんだ。

私は、たとえ何か症状が出ても、そこから病気がない世界に向かう道を選ぶこともできるし、そこから不安に満ちた病気の世界を生きることもできる。

意識というのはそれほど無限大の力を持っている。

私たちは、曖昧で
希望に満ちた世界を
生きている。

つまらない文章になってしまったけど
この数年間ずっと感じてきたことを
書けて嬉しい。

これからはもっと頻繁に更新しよう✨
友達の言葉がとっても励みになった😊
読んでくださりありがとう🙏✨

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