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心療内科の戸を叩くー子どもの予防接種について考えたことあれこれ➁

前回の記事の続きです。
タイトルに書いた「子どもの予防接種」について考えてきたことを書こうとしたら、なぜ、私が、「じょうしき」に「違和感」をもつようになったのか、さかのぼることになりました。

大学3年生の夏、摂食障害と精神不安定で焦った私はまず、大学備え付けの心理センターのようなところを訪ねた。
優しいおばちゃん先生が話を聞いてくれて、少し楽になったけど「え、こんなもんなの?」という肩透かしな感覚もあった。
食べては吐く、という行為はやめされず、太るのが嫌で下剤を飲んでどん底な精神状態は続き、大学の近くの心療内科をいくつかまわったような気がする。(昔のこと過ぎてはっきりは思い出せないけど・・・)
どこに行っても、心理テストのようなものを受けさせられ「○○点だから、軽度の鬱ですね」みたいな事務的な会話になり、私が求めていた根本的な助けを与えてくれる人はそこにはいなかった。
そもそも、こんなテストで何がわかるんだろう?と思った。

私が何に苦しんでいて、原因がどこにあると思っているのか、そういうことに先生たちはあまり興味がないように見えた。

私は情緒不安定ではあったけど、友達も多くてバイトもたくさんしていたから、ありがたいことにあまり真剣に相手にされていなかったのかなとも思う。
私のまわりには、やはり二十歳前後で自意識にさいなまされて病院に行って薬を処方され、一気に飲んで丸一日意識がなくなったような友達もいた。本当に無事でよかった・・・

私自身が半分自然派みたいな家庭で育ったこともあり、だんだんと漢方を出してくれるクリニックを自分で探したり、カウンセリングをしっかりしてくれる場所を探したりもするようになった。(これは数年かけての話)

でも、カウンセリングは保険診療外でやたらと高く、保険診療では「薬を処方するかどうか」だけを判断するようん短い診察。
アルバイト生活でお金がない私にカウンセリングの支払いはつらく、世間知らずな私には「これ、心の治療なんかじゃないじゃん」と期待を裏切られることが続いた。「私が求めてるものこれじゃない」という声が心から湧き上がるようになった。

私は外からみればかなり活発で直感的で、大学4年生のころには「不安障害」という「病名」だけを心療内科でもらって休学し、実際は突如「死ぬくらいだったら本気で子どものころやりたかったことをやってみよう」と思い立って全くの未経験から俳優養成所に通い、大学卒業後も舞台俳優を5年間つづけた。同時にベンチャー企業でフルタイムで仕事をする機会に恵まれたり、学童保育で子どもたちと遊びまわったりして、ある意味でずっと行動的に心の治療をしていたとおもう。
それでも心理的に不安定になることは度々あり、数ヶ月に一度くらい、心のクリニックの戸を叩くような生活をつづけた。
もちろん、心理的な問題だけでなく、体が不調なときは、内科に足を運んだ。いつも何かあると「これ以上ひどくなったらどうしよう」と恐れていた。
一方で、私は自分で「なぜこうなったのか」という原因を考えるような思考回路がもともと人より強いのかもしれない。私の重たい思い(;'∀')を抱えて病院に出向いても、診察してくれる先生はそんなことにはちっとも興味がなさそうで、出された薬を飲んでも飲まなくても、時間がたてば症状は軽くなっていた。
その他にも歯の治療とか、出産のときの担当医の事務的な対応に傷ついたこととか数えきれない小さなきっかけが積み重なってきたので、それをすべては書ききれない。

「やっぱり違う」「病院では解決しない」と悟るまで、4~5年はかかっているし、そうはいっても「予防接種は大切」という気持ちも捨てられなかった。

その間にたくさんの本を読んだし、たくさんのブロガーさんにも助けられた。そして運命的な出会いもあった。

私が影響をうけた作家さんたちもこれから少しずつご紹介したい。

いつになったら子どもの予防接種のこと、かけるのかしら。。

今日はここまで。
こんな文章に付き合ってくれてありがとう。
おやすみなさい。



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