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世の中の「じょうしき」からはずれてみるー子どもの予防接種について考えたことあれこれ➂

しばらくお休みしていた、子どもの予防接種について考えたことあれこれシリーズの続きを書きます。
違和感のいっかけ
心療内科の戸を叩く

二十歳のころから始まった、自分自身の摂食障害や定期的にやってくる鬱症状などを打開するため、半年に一度くらい、近所の心療内科でよさそうな場所を探す、ということを繰り返していたけど、それも6年間くらいで卒業したように記憶している。

その間に、時間をかけて私が気づいたことをざっと羅列してみます
〇診察は、基本的なスタンスとして、「どうして、このような状況に陥っているのか」といった「原因」にフォーカスして根本治療をするという姿勢ではない。ポイントは薬を処方するか否かだけだということ
〇カウンセリングは保険対象外だから高額で、診察に通うだけだと気づいたら薬依存に陥って取り返しのつかない泥沼に陥る危険性があるということ
〇「心の治療」は病院でするものではなく、疲れたら休む、旅行に行く、などした方がよほど効果があるということ
(大学四年生で一番落ち込んでいた時に、当時の彼氏が小笠原諸島に連れて行ってくれて、一気に命のエネルギーが爆上がりしたこともあった)
〇どうせ高いカウンセリングを受けるのであれば、個人でやっているスピリチュアルカウンセラーとかコーチングセッションの方が「原因」について一緒に考えて具体的なサポートをしてくれる可能性が高いということ

私は病院を探すと同時にアーユルヴェーダ関連の本、インナーチャイルドの癒し、気功など、様々な情報に触れてよさそうな場所には自ら足を運んだ。

前回のブログにちらっと書いたけど、一番に影響を受けたのは服部みれいさんの『mur mur magazine』だ。
2013年の秋、私は渋谷の人材系のベンチャー企業で働いていて、まわりの素敵な先輩たちに比べて人間的にも仕事のクオリティーも劣る自分にいつも嫌気がさしていてたまにトイレにこもって泣いていた。
その日も私は肩を落としながら駅前の本屋に立ち寄ったり、ふと視線をおとすと平積みされていた『mur mur magazine』の19号のかわいい表紙絵が目に入った。その裏表紙に書かれていた詩が印象的だった。

これはキャベツふうというものです。
キャベツではありません。
かつてはキャベツというものが
存在していたのですが、
ある日キャベツふうというものが誕生していて以来、
キャベツはなりをひそめてしまいました。
ちなみにこれは、にんじんふう。
こちらはきゅうりふう。
こちらはトマトふう。
こちらは土ふう、
これにやっているものは水ふう。
そしてわたしは人間ふうであって、人間ではありません。

『服部みれい詩集 甘い、甘い、甘くて甘い』より

探したらこのとき私が買った19号はまだ購入できるみたい。

私はものごころついたころから、この現代社会に違和感を持っていた。一番許せないと思っているのは動物の去勢手術の横行だ。これについてはまた機会があれば書きたい。なんの影響かわからないけどこういう独自の思考は昔から持っていたから自給自足にもずっと興味があり、この詩の強烈な皮肉は心に響いた。中をパラパラめくるととても面白そうで、渋谷の道玄坂でこの小さなzineを衝動的に購入した。

私が服部みれいさんの世界にふれたのはこのときが初めてで、そのあとみれいさんの本は一通り、読みつくし、そして今も、みれいさんのコンテンツを日常に取り入れさせてもらっている。気づけばもう10年以上も・・・・

服部みれいさんは「自分の車のハンドルは自分で握る」ということをポリシーとして「自分で自分をケアする」方法で、手軽に実践できる知恵をたくさん、ポップにセンス良く紹介してくれていて、私も冷え取りなどその後いろいろ取り組んだ。

そういう世界に触れていると、自然と「予防接種」「ワクチン」に懐疑的なコンテンツも目に入るようになってくる。

まだ妊娠前に、横浜でひらかれていたみれいさんと不食の弁護士、秋山佳胤先生の講演会に足を運んだことがある。たしかこの本の出版記念講演会だった。
秋山先生は弁護士、ホメオパス、医学博士、コーヒー焙煎士として活躍されながら、不食実践者でもあるという相当ぶっとんだ経歴の方で、ずっと興味をもっていた。


秋山先生はその日、前半は、なぜか予防接種についてスライドを使って説明されていた。
10年くらい前のことではっきりは覚えていないが、確か、インフルエンザワクチンをうけたグループとうけていないグループをわけてデータを観測し、インフルエンザ予防の効果がないことを実証した『前橋レポート』についてもお話しされていた。

ワクチン副作用についてもお話しされてて、1994年に多数の副作用の報告、集団接種への批判から予防接種法が改正されて、強制であったものが任意になったことについてふれ、「私がいうことをすべて信じる必要はない」という前置きをおいたうえで「強制だったものがなぜ任意になったのか、その経緯を一人一人がしっかり考えてほしい」と結んでいた。

予防接種について、直接的に批判的な考えを人の口からきいたのは多分この時が私にとって初めての経験だった。私は当時、パートナーとの入籍を決めていた時期だったけど、パートナーは親戚が医者でもあり、基本的に医療に対して「じょうしき」的な考えを信じている人だから、予防接種のことを考えるだけで心がズンと重くなった。

『前橋レポート』についてもネットでいろいろ調べようとするとトデンモ扱いされているような記事も散見される。「じょうしき」に疑問をもってあれこれ調べだすと必ずこの壁にぶつかる。
たとえば、私が素敵な影響を受け続けている「マーマーマガジン」でググるとすぐに「マーマーマガジン 宗教」と出てくる。笑

世の中の主流から外れようとするときに「変な人、やばい人だと見られるのではないか」という恐れは必ず通らなければならない関門だ。

私がはじめて「世の中の主流に乗っていけない」とはっきり意識したのは、精神不安定だった大学3年生の時、リクルートスーツを着て一斉に就活をする流れが自分には無理だと悟り「就活しない」と決めた時だ。

だから、私は世の中の主流からはすでに外れていたけど、「トンデモ」の世界に興味をもつのはまだ怖かったし、そもそも何が正しいか自分で判断できるとも思えなくて不安しかなかった。

一方で私の魂は秋山先生の話に真実の響きであることを知っていた。

気づいてしまったら、気づかないふりはできない。一度始まった探求、魂の進化は、はやまったり遅くなったりしても止まったり、
引き返すことはできない。
私は自分がこの分野を探求していくしかないということがわかっていた。
子どもの予防接種については、もし子どもが生まれたら徹底的に調べて、必要なものだけ受けるようにしよう、というところで自分をいったん納得させた。

まだこのことろは、誰かに、どこかに答えがあるのだろうと信じていたから、それを見つけられたら楽になるような気がして、相変わらず本やブログを読み漁り、スピリチュアルカウンセラーの人に月に1回あっていろんな話をした。

こうやって、少しずつ少しずつ、「自分のために自分で考えて自分で決めて行動する」ことをトライ&エラーで繰り返してきたんだな、とブログを書きながら改めて振り返っています。

今日もこんな文章に付き合ってくれてありがとう。
明日からいよいよ4月。
あなたにとっても幸運がたくさんおとずれますように。

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