見出し画像

体が足りないほど行きたい場所やりたいことが多いけど、残念ながら僕の体は一つしかない。だから

最近「体が足りない!」が口癖になっています。
行ってみたい場所が多すぎるし、一回行った場所でも何かしらフックをつくるので、二回目三回目と続きます。

直近だと、8月に宮城県石巻市(6回目)と岡山県津山市(3回目)が予定されています。

また、SNSで流れてくるイベントの情報も、興味深いものばかり。
8月頭に開催される香川県三豊市でのイベントは、その日に茨城県つくば市にいるため参加不可。
資産が1兆円くらいあれば、生活資金だけ残してあとはどこでもドアの開発に全力を注ぐかもしれません。

でも、僕も薄々気づき始めています。
全部は無理だ、って。
行きたい場所やりたいことがたくさんあるけど、僕の体は一つしかない、って。

やりたいことを全部やりたいとは思っていますが、それは優先度付けをサボっているだけ、とも言えます。


でもやっぱり、行きたい場所は全部行きたいし、会いたい人全員に会いたい。やりたいことも全部やりたい。
この実現方法を考えてみたところ、「結果」で完了するのか「過程」で管理するのかで大きく変わるなと気付きました。

どういうことか。
たとえば、北海道に行くという動作があったとして、以下のような場合分けが考えられます。

結果→北海道で何かしらの事業を持つ
過程→僕自身が北海道へ足を運ぶ

過程だったら確かに僕が行く必要がありますが、結果だけ見ると僕じゃなくてもいいですよね。
僕が信頼した誰かに根を張ってもらって、報告をもらって、たまに様子を見に行けばいいのです。

やりたいことだって、「過程」を重視してわざわざ足を運ばなくても、「結果」を重視して今いる場所でやってしまえばいいわけで。

これを深掘って考えてみると、他者のコンテンツに吸い寄せられて生きているから体が足りないのであって、自ら生み出して自分でコントロールしてしまえばいいのです。


このように、多拠点生活も結果や仕組みを意識すれば、やりようがいくらでもある。
僕はペース配分で調整するのではなく、仕組みで調整していこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?