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「ワークインライフ」という原点回帰

ワークライフバランスorワークアズライフ論争。
数年前から、この論争が起こっていると(勝手に)思っています。

ワークライフバランスは、「仕事とそれ以外(趣味)の時間をうまくバランスを保ちながら過ごしましょう」というもの。
ワークアズライフは、「仕事とそれ以外(趣味)の時間も境目なく楽しんでいきましょう」という感じでしょうか。

どちらも合っていると思いますし、自分の価値観に合わせて選択すればいいもの。
実際、編集者として約200社の経営者の話を聞く中で、それぞれの主張の経営者がいました。

ですが、僕はこの2つの言葉に対し、少し違和感を覚えはじめました。
定義が違うのでは?と。

それぞれ図解してみた

ワーク=仕事、ライフ=生活と訳し、ワークライフバランスとワークアズライフそれぞれを図にしてみます。

ワークライフバランスは、ワークとライフがバランスを取れている状態。
こんな感じで、綺麗にわかれています。

天秤でも付け足しときますか。

一方、ワークアズライフはこのような感じ。
仕事と生活がぴったり重なっています。

こうしてみると、違いがはっきりわかりますね。

持論も図解してみた

これを踏まえて、僕が違和感を覚えたのですが、僕の主張がこれ。

仕事も生活の一部なのでは?」ということです。
図にするとこんな感じでしょうか。

ワークインライフとは

生活は、「生命活動」「生きるための活動」と解釈することができますよね。
つまり、仕事も生きるための活動の一部なのです。

これを英語で表したのがワークインライフです。

仕事をして収入を得て、そのお金でご飯を食べる。誰かを幸せにして自分満足度も高まり、その結果自分の立場も変わっていくものです。

また、食事、運動、睡眠などは仕事のパフォーマンスに直結するものですし、趣味が突然仕事に変わるかもしれません。

さらに言えば、24時間のうちどれだけ仕事に割くかは、人によっても違いますし、状況によっても違います。
週7日フルフルで働く人もいれば、週3日にとどめる人もいますし、一日4時間程度にとどめる人もいるでしょう。

たくさん働けばたくさんお金を得られるとは限りませんし、たくさんお金を得る必要もない人もいます。
どういう働き方をするかに、正解も不正解もありません。

だから、生活における仕事の比重は、個人個人で決めていいはずなのです。

仕事はあくまで生活の一部。仕事が「正義」とは限らない

このnoteを通じて言いたいことは、「仕事を正義とするのは違う」ということです。

ワークアズライフ主義の中でたまに見られるのが、「四六時中仕事のことを考えることがすばらしい」ということ。
確かにすばらしいのですが、それを他人に強要してはいけません。

仕事の時間を大切にする人、家族との時間を大切にする人、一人の時間を大切にする人、趣味の時間を大切にする人、どれも正解です。
守りたいもの、魂を捧げたいものは、人によって違うのですから。

それら全て、「生きる」ために選択しているもの。
仕事は、その選択肢の一つでしかありません。

きっと、今より政治や経済が発展していなかった大昔は、きっとこんな感じだったのでしょう。
今生きるために何をすべきか、何をすればもっと生きたくなるのか、これらを考えて日々を生きる。
政治や経済が発展していく中で、収入を得る方法が「仕事」と呼ばれるようになっただけ

「ワークインライフ」という考え方は、原点回帰に向かうものだと感じています。

-----PS-----

今回のnoteは、この月岡さんのnoteからインスピレーションを受けて書いています。
一度直接お話を聞いたことがありますが、首がもげるほどにうなずいていました。

仕事のために仕事以外の時間をどう使うか、仕事以外の時間でをどう仕事につなげるか、そもそもつなげるかつなげないか。

「ワークインライフ」という考え方をもとに、自分の生命活動を充実させていきたいですね。

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