「一年」は長いのか短いのか
先日、このワークショップに参加した。
タイトルのとおり「1年後の自分に手紙を書く」ワークショップで、僕も1年後の自分に手紙を書いた。
僕は「1年後の自分を笑わせる)ことを目標に、先日の自分が面白いと感じることを詰め込んでみた。
というのも、今の僕の軸には「面白い」があるので、自分の軸を1年後の自分に示す意味もあった。
1年も経てば書いた内容は忘れてるだろうから、読み返すのが楽しみだ。
他の参加者の感想を聞いていると、書いた内容やワークショップの趣旨の捉え方、「1年」という時間の解釈などが人によって違いすぎるのが面白かった。
僕みたいに「1年後に読む読み物を作る」人もいれば、「1年後の理想の自分になるための決意表明をする」人もいたりと、多重多様だ。
同じテーマなのにこれだけ解釈が違うのは、人間の面白さの一つである。
このワークショップを経て気になったのが、「"1年"は長いのか?短いのか?」ということ。
年齢や環境にもよるだろうが、ここの捉え方が人によって結構異なっている印象を受けた。
違っていていい、という前提で、僕は「長い」と感じる人だ。
考えられる理由は以下2つだ。
やることが時々刻々と変わる(1年後どこで何をやっているかがわからない)
過去のことをあまり覚えていない
特に2については、記憶が過去1ヶ月くらいしかないので、1年という単位で物事を捉えることがほとんどない。
1年前どころか3ヶ月前のことすらはっきり覚えていない。
だから、1年という時間は僕には長すぎて、当然1年前のことなんて覚えていなくて、そのおかげで脳のキャパが埋まらずに済んでいる気がする。
その一方で、1年という時間の短さも自覚している。
今は2024年9月だが、2023年9月からあっという間に1年が経った。
局所的に覚えている記憶も「あれは1年前のことだったのか」と驚きをもとに思い出す。
僕の会社株式会社midnight sunも、2021年2月に設立したばっかりだと思っているが、気づけば2025年2月の4周年までのカウントダウンが始まった。
瞬間瞬間は気づかないが、過去の事実を振り返ると1年の短さに驚かされる。
結論、1年が長いのか遅いのかは、よくわからん。
というか、切り口によって変わる気がしてきた。
ただ、「短い」という捉え方は間違っていないようなので、短い前提で生きていく必要はありそうだ。
そして、「今年も長かったな」「今年も短かったな」の両方を言いながら毎年生きていたい。
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