SWEET THIRTEEN
小学生の頃、学校に行くのが毎日楽しみだった。放課後に木登りをしたり、男女一緒になって公園で缶けりをして遊んだり、のびのび朗らかな日々を過ごしていた。
中学生になると、一気に学校がつまらないと感じるようになってしまった。
小学校の頃から仲の良かった友人達とはクラスが別々なってしまったし、転校したり、中学受験をして離れてしまった子もいた。
中学に入ってからの急激な人間関係の変化に上手くついていくことが出来ず、いつも一人でいた私は、クラスの中で浮いた存在だったと思う。
中学入学後すぐに父が病気で入院して、末期癌だとわかってからは、学校なんて行く気になれなかった。あんなに好きだった場所は、もう楽しくもなんでもない、どうでもいい場所になってしまっていた。
父のことで不安に押し潰されそうな日々の中、無理してクラスの中で自分の立ち位置を作るよりも、一人で本を読んでいる方がよっぽど気持ちが休まった。
当時の担任から「sumiのことをみんな心配している。もっとみんなの輪の中に入っていけ」と言われたのを覚えている。
生徒から慕われる、明るく勝ち気な熱血タイプの先生で、彼女は生徒のことをあだ名かファーストネームで呼んでいた。
私は彼女のことが苦手だった。
特に親しくもない間柄の人間から下の名前で呼ばれることが嫌だったし、お前達のことは先生が守る!みたいな熱血漢な感じも、距離感の近さも、なんだか全部が嘘臭く感じられて、嫌いだった。
父が入院していることは、友人にも、クラスメイトにも、もちろん担任の先生にも言っていなかった。
私はいつ訪れるかわからないその日に怯えながら、教室ではいつも一人で過ごしていた。
父が亡くなったという報せを聞いて、みんなどう思ったのだろう。
父の通夜が始まる前、担任が葬儀場にやって来て、私に何か一言いって涙ぐんだ。何を言われたのかは覚えてないれけど、その姿を見て違和感を持ったことを覚えている 。
その後、担任に連れられて葬儀場にやって来たクラスメイトの顔を見ていたら、怒りの感情が込み上げてきた。親しくしている子なんて一人もいなかったのに、父の通夜にはクラスメイトのほとんどが来ていたと思う。当時の私には、それが嫌がらせのように思えた。関係の無い他人がなぜ葬儀に来ているのか理解出来なかった。
父の葬儀には、小学校から仲の良かった友人たちも参列していた。彼女達から掛けられた「元気出してね」「がんばってね」の一言は私を更に傷付けた。
彼女たちなりの優しさだったのだろうけれど、その時の私にはとても受け入れられるものではなかった。
忌引き休暇が明けて学校に通いだすと、それまであまり話したことのなかった同級生達が声をかけてくるようになった。
通夜の時に声をかけてきた友人達から、交換日記をしようと提案された。渡されたノートには、悩みや相談したいことがあったら何でもここに書いて欲しい、というようなことが書かれていた。彼女たちにお礼を言って、当たり障りのないことを書いて、日記を回した。日記は何周かした後、止まったままになった。
父が亡くなってから、私はクラスメイトの輪の中に入っていくようになった。
教師たちが心配しているのがわかっていたので、面倒を避けたかったのだ。みんなに混ざって大人しく笑ってさえいれば、大人は安心してくれる。放っておいてもらえる。残りの学生生活を平穏に過ごすための選択だった。
3学期の通知表には「クラスメイト達に囲まれて、少しずつ笑顔を取り戻してきているようです」と書かれていた。
13歳の冬が終わろうとしていた。
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