私が民話を書きはじめた理由。

私という人間は、トークが飛び抜けて上手いわけでもなく、ただ読むのが好きというだけでアナウンサーになってしまったので、いわゆる「局アナ」を辞めてからの紆余曲折が長かった。

結局「そうか、読みたいのか」ということに気づいたのがここ数年。

生まれた土地の民話に出会ったのがそれからすぐのこと。

実家では祖父が厚木の生まれではあったけれど、市外に出ていたし、祖母も横浜育ちとあって、地元の民話を聞いたことなどなかったのでびっくり。

図書館へ行ってみたら、教育委員会を含め何人かの著者による厚木の民話集があった。

同じ話でもそれぞれに少しずつ違うストーリー…。

そう。民話は口承文学。

ひょっとしたら、市の歴史資料を調べていくと、もっと違った視点の民話になるかもしれない。

そう思ったのが始まり。

なにしろ歴史は縄文時代に遡る土地。頭が痛くなるような文字の羅列もあったりする。

それでも保存されている資料を読み、物語の舞台を訪れたりそこで展開された人々の交流を思い浮かべる時、今ここにいる自分につながる長い時間を額に感じるのだ。

ひとつの民話にたくさんのバックグラウンドがあり、それを紐解いてまた物語としてまとめていく作業は骨が折れるのだけど、書き散らかした出来事の断片が繋がり合い、文字の羅列となり、言葉としてまとまり、意味ある文章になっていく過程がたまらない。

そしてそれを語る時、私の心には見たことがないはずの市内の昔の町や村の日常が営まれている。

大変だけど、面白いもの見つけちゃったなー。

しかし、語るつもりで書いたものの、コロナ禍で日の目を見ないでいる。

せっかくなので、こちらで皆さんに読んでいただければと思います。

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