見出し画像

私の知らない私の顔

実家を出て9年。ずっと帰らなかった家に、休職を機に帰ってきた。
私は実家が嫌いだった。この家を出れるなら何でもいいと、近県の大学へ進学し、在学中そして就職してからもほとんど帰らなかった。就職してからはそれでも顔くらいは見せなければという思いから、本当に顔を見せるだけの帰省もどきをした。実家を離れて、私はさみしくなるということがなかった。ホームシックとは無縁だった。家を離れることでやっと家族として接することができた。だから勘違いをしてしまった。世間の人と同じように弱ったときは実家に頼ってもいいと。休職して、しばらく一人アパートにいたが、本当にこころが弱ってしまって父から帰って来いと言われた。それをきっかけに私は実家に帰った。

母はじっとこちらをみる。無表情で、不気味な顔。「なに」と声をかけるとへらっとして「なんでもない」という。私はそれが嫌いだった。リビングに入るといつも振り返ってその顔でこちらをみる。自分のことをしていればいいのに。母の独り言がきらいだ。自分でじんせいを切り開かなかったために、人生の失敗をいつも他人のせいにする。母はそうやって生きてきたから今更それを相手に議論しても意味はない。だから私と母はかかわらないのが一番いいのだ。母の人と話していないときの顔は能面のようだ。からっぽな人形。見られていないと思っているときの表情にその人の人間性がでると聞いたことがる。私が能面だと思った母は、母のなかにある虚だったのかな。

結婚して子供を育てて、そうすれば幸せになれると思った。母は私にそういった。滞在して5日目だったと思う。幸せじゃないと言っているようなものだ。母の現状は私から見ておおよそ幸せだとは思えない。本人もそれを認めた。だがすぐにこれが普通でしょう?とも言いだしたので、もうすっかりおかしくなっていたんだなと分かった。結婚して、子供を育てれば幸せ…か。それだけではだめだと思うが、結婚すれば夫に、子供を産めば子供に、幸せにしてもらえると思っていたのだろうか。結局そのどちらにも拒絶され、同居はしていても避けられている。

母は離婚すればよかったのだ。それが父が仕事を辞めた際なのか、借金を作った際なのかはわからない。そもそも父が家庭のリーダーシップをとらないなら母が代わってリーダーシップをとればよかったのだ。それならまだ離婚しなくても、幸せを模索していると理解できる。ただ現実としては母は離婚できなかった。父に人生の舵を任せて、自分で考えて生きていくことをしなかった母は、離婚して子供は?パートではなく働くのか、家は?など自分で決断できないことだらけで、自分で選択できなかったのだ。
流されるまま生きてきて、お金がないことでぶつかる問題すべてに父のせいだとヒステリックに当たり散らし、物を壊した。
私を含めて子供も成長し、母ばかりが悪いのではないとわかっても、されたことが忘れられなくて、幼少期に省みてくれなかった父より母のほうがよっぽど嫌いだ。

だれにもみられていないと思っているとき、その人の本性が現れる。人にたよって自分の芯がない母。虚が顔に現れる。

私の顔にはどんな私が現れるんだろう。母を、実家を反面教師に生きてきた9年。私はどんな顔をしているのか。自分の顔を自分で見ることはできない。母と同じ顔だけはしたくないものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?