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ガラスの中の金魚

就職活動の時、良い会社に入れなければ自分の人生が死ぬんじゃないかと感じていた。

 けれど、今、考えれば良い会社ってなんだったんだろう?年収が高くてハードに仕事をして、男性と肩を並べて働く。そのことだけが自分の求める正解のように信じ込んでしまっていた。

「女性には色々な生き方がある。歳を重ねる中で、子育てのほうが楽しいと思うかもしれない。プライベートが大事と思うかもしれない。正解はひとつじゃない。」

 OG訪問をした時に、そんな風に言われたことがある。けれど、その時の自分には刺さらなかった。一部上場企業の誰もが名前を知っている会社に新卒で入社することだけが正解のような気がしていた。
 その時の自分に言ってあげたくなる。

「新卒で入る会社は大事だ。けれど、3年以内に30%の人が退職する。思い詰める必要はない。」

 第一希望の会社に入れなかった私は、まるでこの世の終わりのように落ち込んでしまっていた。転職をしてみて思うのは、人生やり直しが効くということだ。それに仕事は重要なパートだけど、全部ではない。


 この写真は就職活動をしている時に、説明会の帰り道に撮ったものだ。その時、撮った写真は本当にただトレンチコートを着た女性がいく人もおり重なって歩いている姿が映されていた。その人たちも、私も知り合いではない。けれど、みんな制服みたいに同じ服を着ている。なんとか内定を得ようともがいている。

 そんな風に泳ぐ自分は金魚のようだと感じた。

金魚はかつては遊女の姿に例えられた。吉原の中でしか生きられない美しい姿。けれど、私は金魚の中に常識という枠に囚われている女性の姿を見た。

私もそれは同じだ。「普通」という枠からずれていないか?と考えてしまう瞬間がある。水槽から出ようともがいていたはずなのに、気づけば見えない水槽の中でとらわれるように泳いでいる。そんな自分を卒業させたいと願った。

 1枚の写真だけでなく、いくつかの写真を重ねていくと別の意味が浮かび上がってくる。多重露光と手法をイメージした。フォトショップの上でレイヤーを重ねながら、自分なりの世界を描いていく。自分が見た世界のフレームが重なることで広がっていく。

 最初に描いた道からたとえ外れてしまったとしても、さまざまな道を選ぶことができるのだ。不自由な世界で泳いでいる自分に「さあ自由な世界へ」というフレーズは皮肉な気がした。けれど、本当は私はまだまださまざまな道を選ぶ自由があるはずなのだ。「暗かったトンネルを抜けて、明るい光の下で泳げますように」と言う願いをこめて、写真という記憶を重ねてゆく。

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