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私は承認欲求が強い

 明けましておめでとうございます。アラフォー同人女は完全朝型生活のため、昨晩年が明ける前には既に寝落ちて、ワンテンポツーテンポくらい遅れて「あけおめ」挨拶をするという具合でした。
 昨日の大晦日から今日の元旦にかけて、自宅のテレビでは延々と「孤独のグルメ」の一挙放送を流し続ける、非常に平穏な年末〜年明けを迎えております。
 よくよく陥る現象のひとつに、「月が変わると新しい気持ちになる」ということがあり、ぐだぐだと時間を無駄に過ごしているような自堕落的生活が続いていても、毎月1日にはそのぐだぐだをリセットしてシャキッと生活になるという心意気を持ちます。
 しかし実際には、その頭の中で描く理想的でストイックなシャキッと生活は半日くらいで再びぐだっと生活になります。私は本来はだらけきった人間なのです。

 そんな訳で、毎月1日には一瞬シャキッと人間になるものなので、年明けにはシャキッと化に関するバフがいつも以上にかかり、今日の自分ちょっと凄いと思ったことは、昼寝を30分程度で終わらせてちゃんと目覚めたこと、ネットの匿名掲示板をだらだらと見続けなかったことが挙げられます。その代わり今日はTL流れるの早かったからTwitterはやたら見てたけどな……。

 過去に何件か、Twitterに関する記事を書いてきまして、結局2023年になった今も現在進行形でTwitterに捉われることになっているなと思ったので、その自覚した気持ちをまとめにきました。
 私がTwitterを発信ツールとして使ううえで、常々考えてしまうことが「フォロワー増えないかな」ということです。
 さらに言うなら、「投稿している絵や漫画がバズったりしてフォロワー増えないかな」なんてことも考えたりしますが、これについてはかなり疲れていてあー現実ハイパーイージーモードにならないかなと思っている時です。
 一番関係の長い友人から「急激にフォロワー増えると怖いから、少しずつ増えたフォロワーさん大事にしなされ」と諭されたこともあり、「そうだよな、結局自分にとって一番の理想は自分の作品をちゃんと好いてくれてフォローして頂けることだよな」と思っています。

 それについても、これまでも散々考えてきました。
 フォロワー数が多い=人間としての価値ではない、だから私はTwitterのフォロワー数が少なくても、私という人間の価値が低い訳ではない、だから大丈夫と何度も何度も何度も何度も思い返してきました。
 それでも何故かつい、「フォロワー増えないかな」ということを望んでしまうのです。

 これは何でと考えてみて、私はTwitterを作品発表の場にしているのが大きいと思いました。
 しかも今、オリジナル漫画を載せる一次創作用のアカウントを運営しているので、よりその気持ちが強いのかと感じています。
 わざわざフォローしてまでこの人の漫画を見たい、追いかけたいと思われたいんです。私は格好つけて斜に構えて諦めている風を装いながら、クリエイターの1人になりたい、クリエイターとして認められたいと渇望しているのです。
 結局、承認欲求と密に結びついている、Twitterへの反応、特にフォロワー数については、もう諦めました。
 増やすのを諦めたのではなく、気にしないことが無理なんだと諦めました。こうなったらとことん、飽きるまで、気の済むまで、あるいは死ぬまで「フォロワー増えないかな」と思い続けます。
 それが人から見て「馬鹿だな」「愚かだな」と思われたとしても、自分の中ではフォローされた=作品に興味を持ってもらえたと考えて喜んでしまいます。
 これは執着だと思うので、持ち続けていると苦しむものなんだと思います。しかし何をやっても何を持っても手放せないと感じたら、いっそ持ち続けて地獄の果てまで行ってやるぜという気持ちです。

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