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彼女の名前は。

「キムジヨン」の作者、チョナムジュの新作「彼女の名前は」を読み終わった。
30人弱の韓国の女性たちの物語。読み始めてすぐの、「ナリと私」がわたしには一番、ぶっ刺さった。
テレビで働く女性たちの過酷な労働環境の話。わたしもメディアの仕事をしてる分、つらくても仕事の刺激は強く、面白くてしょうがないのはよく分かる。
ただ、はっとしたのは、最後の部分。先輩の女性が、後輩のナリに向けて心のなかで言う。「(きつい労働環境は)わたしだってそうだったんだよ、あたしらの頃はもっときつかったんだから。と、そんなことを言う先輩にはなるまいと心に誓った。でもそれだけでは足りない。言ってはいけない事を言わない人で終わらず、言うべきことを言える人にならなければ。自分が今日飲み込んだ言葉、自分しか言ってあげられない言葉について、考えている」。

これは、ナリにコーヒーを汲ませようとする男性社員を、先輩の彼女が注意できなかったことだ。「疲れてピリピリしている人に苦言を呈するのも...」と忖度した。
一番下の立場のナリが断るのは現実的にむずかしい。そんなこと、させないでくださいと先輩の彼女が一言言えば、止められたことだった。それを彼女は気づいて、悔いている。

わたしが去年、職場でパワハラまがいのことに悩んでいたとき。いつも食事に連れ出してくれ、話を聞いてくれた先輩がいた。その存在にどれだけ救われたかわからない。本当に感謝している。
でも、本当に、してほしかったのは。
わたしを苦しめる当時の職場の上司に「おまえ、それはだめだ」と言ってくれることだった。
そのときは孤立無援でとにかくつらかったから、話を聞いてくれるだけで味方になってくれてると信じていられた。でも、後から思う。あれはほんとに味方だったのだろうか。
結局、その人の手は借りずに職場を辞めた。

わたしは、自分自身が将来先輩になって後輩を守るとき、履き違えないでいたい。やさしい言葉をかけて、気にかけてお酒をおごってあげるのはだれでもできる。自分の経験、立場を活かして、後輩を守ってあげることが、上に立つ本当の意味だと思う。

著者のあとがきで、「卵で岩は割れなくても汚すことはできる」ということばが好きだと書いてあった。
役に立たない巨大な岩がわたしたちの前身を妨げているとき、足を止めたり引き返したくない。すぐに動かせなくても、一緒に声をあげ、悩んでみたいのですと。

この本の女性たちはそうやって投げつけられた卵かもしれないと。それでも今日も投げつけると。

話はそれぞれ、救いがないようにも思えるつらいものが多かった。でもわたしは、これの日本版を読んでみたい。こうやってすくいあげられたひとつひとつの声を読むこと。どんなちいさな一歩でも前に進んだその勇気や、自身への気づきを正直に分かち合うことが、また別の人を力付ける。
わたしもまた、ちいさい一歩を踏み出したい。
読んでよかった。

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