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いのちの味

喉が渇いて油を飲んだことがあるか
腹が減ってネコの餌を食ったことがあるか

割と大きくなるまで調理ができなかった私は、
いつ帰るか分からない父を待ちながら冷蔵庫や食品がストックされている収納庫を開けたり閉めたりしていた

収納庫にはカレーのルーや乾麺なんかがあったのだけれど、なにせ調理ができない。当時火も使えなかったのでお湯も沸かせない。そのまま食べられる物を探すしかなかった

冷蔵庫には遥か昔に期限が切れたソースやマヨネーズなんかの調味料、何かを漬けてあったのかピンク色の水だけが入ったベタベタのタッパー、あとは桜でんぶ。
冷凍庫はいつもギチギチに入っていたけれど何ヶ月前に買ったか分からない冷凍焼けした多分何かの肉
野菜室には期限切れで二層に分離したヤクルトが数本と、痛んで変色し水っぽく溶け出した葉物野菜が癒着し合っている
父ひとり子ひとりの家庭にそぐわない5.5号炊きの炊飯器には、一度で満量炊き上げた米が何日も保温され続け黄色く変色し独特の匂いを放っていた

お腹は空いていたけれど、学校給食の味を知っていたからこそ食べ物ではないと判断してしまう

カビだらけでゴキブリの這う水回り
水道を捻って水を飲む気になれず、収納庫にあったごま油を飲んだ。お茶に見えたのを覚えている。
当たり前だが吐き戻した。生温く口に残る油分とゴマの香りで気分を悪くし、暫くごま油を使った料理が食べられなくなった

家捜しのように食い物を漁りながらふと思いつく
愛猫家だった父は野良猫にやる為のキャットフードを置いていた。
犬用のジャーキーを食べたことがあったので、それなら猫もいけるだろうと謎の自信があったのだが、これがまたびっくりするほど不味かった。
味がないのに脂っこい、そして強烈な魚臭さ
この日からいまだに私はツナ缶が苦手である。

そんな生活だったが、当時惨めだ苦しいなどと感じたことがなかった。
とんでもないサバイバルを当たり前に生きていた。不潔で薄汚く世間の目は冷たかっただろうが私自身は全く気にしていなかった。

喉が乾けば、公共の建物を目指しそこに設置された水飲み場をよく利用した。無料だし安全、よく冷えていて美味しい。

夕方を過ぎ、腹が減れば父の行きつけている居酒屋を巡り「お父さんいませんか」とドアを叩いた。ちなみに父が頻繁に飲みに行く店で尚且つ飯が出る居酒屋にしか行かない。そこで食わせて貰えば一旦タダで腹は膨れる、ジュースも飲める。店側も私を認知しているので飯代は次回の父の会計にツケだ。

ある時、店の奥さんが「おいで」と声をかけ引き入れて下さった場所で、出された炊き立ての飯で握ったおむすびは涙が出るほど美味かった。塩だけで握られていて具なし、海苔が巻かれたツヤツヤのおむすび。

私は現在まで、これを超える美味いものを知らない。

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