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10年ぶりのドイツ旅5

レーゲンスブルク午後散策

早朝散策で冷えた体を休めた後、陽の高くなって、ぐんと気温が上がった午後1時頃から、またゆるゆると街に出かけた。朝の風景とは一変、大勢の人で行き交う賑やかな街になっていた。

ローマ時代の壁

今度は鉄道駅前から伸びる大通りを通って旧市街へ。ショッピングストリートが始まる直前に、またローマ遺跡が。朝見たローマの門は街を囲む壁に備わっていた門だが、今度は門ではなく壁の方だ。小さな看板に説明があった。
2000年前の貴重な遺跡だが、ショッピングストリートの裏で、ひっそり朽ち果てている感じが勿体無いなと思った。我々以外誰も立ち入って見てる人はいなかった。

ローマ時代の壁
四角く街を囲んでいた壁。


最古のソーセージ屋さん


また、ドナウ川へ向かってズンズン歩く。橋の袂にある最古のソーセージ屋やさんで、ソーセージサンドをいただくことに。朝と違い、テラス席は賑わっており、ソーセージサンドを買う人の列もできていた。

最古のソーセージ屋さんのテイクアウト専用口

小屋の煙突から黒煙が出ており、一帯にソーセージの焼けた匂いが充満していた。
ソーセージサンドはテイクアウトのみなので、ドナウ川に面したパブリックのベンチに座って食べた。

3、9ユーロのこぶりソーセージサンド

サワークラウトとソーセージのコンビネーションにマスタードもきいて美味しかった。ただし、3、9ユーロはサイズ的にも高いと思った。円だと今のレートで600円。最古のソーセージ屋というブランドなのでしょうがないけど。
食べた後は、橋を渡って対岸の通りを歩く。
すると、また何やら歴史スポットの説明看板を発見。

ナチの負の遺産

それはなんと、この橋を渡って20メートルほど先に今もある建物が、ナチによるユダヤ人収容宿舎だったという説明だった。劣悪な環境だったため、数週間で何人も亡くなったと記されていた。また、当時そこに収容されていた人の戦後の発言で「骨と皮だけになった囚人が、爆撃で損害を受けた線路の修理に駆り出されるが、皆足取りは弱々しい。」という一説も紹介されていた。

ユダヤ人収容宿舎についての説明
Colosseum と書かれた建物がユダヤ人収容宿舎だった


突然暗くドロドロした渦の中に放り出された気分になった。今まで、ローマ時代の遺跡や大聖堂、ドイツ最古の石橋、そしてその歴史が重なった上にある、今の明るいレーゲンスブルクを一日見てきただけに、反動というか、ちょっとショックだった。
私は10年前にドイツに来た際、ダハオのユダヤ人収容キャンプ、ポーランドのアウシュビッツに行き、ナチのホロコートの惨さを学んではいたが、こんな田舎町の、それも街の中心部に収容所を作っていたとは知らなかった。それに今回は、心構えなしに、バーンと突きつけられた感もあって、当時の地元の人はその痩せ細った囚人がSSの監視の元、線路と宿舎を往復している様子をどういう気持ちで見てたのか、など考えこんでしまった。ナチはとんでもない汚点をこの小さな世界遺産の街にも残してしまったのだ。
知らなかった事実を知ることができてよかった。こんなの日本のガイドブックなどでは載ってないだろうし。

橋を渡ってすぐの景色


外はまだまだ明るいし、夕方になって気温が下がりだしたためか、更に行き交う人が多くなっていた。明日も早くから移動するつもりなので、そろそろホテルへ戻ることに。
帰り道で、アイス屋さんに行列ができていたので、ワンスクープ1、8ユーロ買ってみる。

人気のアイス屋さん

おまけものせてくれた。味はチェリー。さっぱりめだけどかなり甘かった。上のおまけはパンプキンシード。ピスタチオかと思ったが、珍しいので頼んでみた。パンプキンシードかよく分からなかったが、こちらも悪くない。

アイス1、8ユーロ

明日はヴュルツブルクへ移動の日。隣の部屋に小さい子供を連れた客がいたため、遅くまで音が響いて少し寝づらかった。

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