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映画『幸せへのまわり道』感想

セラピーのような映画だ。特に、家族との間になにかしらの問題を抱えている人は、主人公に自分を重ねるかもしれない。観たあとは「もし自分がフレッドに出会えたらどう変化するだろう」と考えたり、心にフレッドを住まわせたくなった。

『幸せへのまわり道』は、アメリカで1968年から2001年まで放送されていた子ども向けテレビ番組『Mister Rogers' Neighborhood』の司会者をつとめたフレッド・ロジャースと、彼を取材した雑誌記者の実話をもとに描かれている。

雑誌記者として活躍するロイドは、幼いころに家族を捨てて出ていった父親を許せず、心にわだかまりを抱えている。そのせいもあってか、ひねくれているところがあり、身近な人にもあまり自己開示をしない性格だ。ある日、取材のために子ども向け番組に出演するフレッド・ロジャースをたずねることになった。そこで、フレッドがカメラが回っているところ以外でも子ども一人ひとりと真摯に向き合っていることに驚く。取材のときに裏の顔を引き出そうと、意地悪な質問をしてみても手ごたえがない。それどころか、ロイドが抱えている問題にやさしいながらも率直に入りこんでくるのだ。

裏表がなく、不思議な魅力のあるフレッドに困惑して心をのぞかれまいとする。しかし、交流を深めるうちにかたくなだった考えが変化してゆき、過去と向き合いはじめる。時を同じくして、父が病気で倒れてしまう。いちどは目を背けたロイドだったが、フレッドと過ごすなかで思い直して父に残された時間をともに過ごすのだ。

ロイドは、父を許して和解する道を選んだ。病床の父に「あのときは申し訳なかった」と謝られたとき、目をそらしつつも小さくうなずいて「愛してるよ父さん」と答える。

私は、序盤のほうからマスクがぐしょぐしょになるくらい号泣しつつも、一貫して伝えられる「許すこと」に対する肯定的なメッセージにすこしの引っかかりを感じていた。過去の出来事や傷つけられたことは変わらないのに、許せというのは酷なのではないか?本当に許すことでロイドの心は癒されるのか?と。

しかし、このシーンでなんとなく分かった気がした。フレッドがロイドに導いた「許す」という行為は、過去に起こったことをきれいさっぱり洗い流すという意味ではなく、許せない過去に足をとられて動けなくなってしまった自分を、「もういいんだよ」と解放してやることなのだ。

ロイドは父に謝られたとき、「許すよ」ときっぱり答えたわけでもなければ、慈愛にあふれたほほえみを見せたわけでもない。視線をはずして、うなずくことしかできなかった。次に発した「愛してるよ父さん」という言葉は、謝罪への返答というより、現在ロイドが父をどう思っているかの表明である。やはり過去の出来事はたやすく割り切れることではないけれど、自分の感情と向き合い、前に進むことは大切だ。そしたら、いまを一緒に過ごすことは許せるかもしれない。

本作をセラピーみたいだと感じたのには、フレッドの底なしの優しさ以外にもうひとつ理由がある。箱庭療法を連想させる映像が組み込まれていることだ。

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この映画の映像は、ミニチュアの世界、フレッド・ロジャースのテレビ番組の世界、登場人物が生活する現実の世界 という3つの視点で構成されている。そのなかで、ミニチュアの世界(とフレッド・ロジャースのテレビ番組の世界)は舞台である90年代を思わせるアナログな映像で、懐かしさや暖かみを感じる。おもに建物や橋、飛行機など、風景がミニチュアで表現されるのだが、さながら箱庭療法で使われるおもちゃのようだ。

箱庭療法は、自分の本当の気持ちに気づくことであったり、言葉で表現するのが苦手な人が、箱の中にミニチュアを置いて何かを表現することで、抱えているストレスに気づくための心理療法である。

ロイドは、たとえ大切な人に対してでも自分のことを話すのが苦手だった。しかしフレッドとの交流するにつれて、少しづつ抱えているわだかまりを打ち明けるようになる。ロイドにとってフレッドは、無意識にとらわれている心の問題を表に出して言語化するすべを与えてくれる、箱庭的な存在だったのかもしれない。

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