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映画『ボヤンシー 眼差しの向こうに』感想

広大な自然に囲まれて、自分ってちっぽけな存在だなあと感じたことはないだろうか。

『ボヤンシー 眼差しの向こうに』は、どこまでも美しい海や田園風景が、人間の矮小さや内側に潜むどろどろとしたものを痛いほど際立たせている映画だった。

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主人公はカンボジアの貧しい農村で家族と暮らす14歳の少年。彼は、家族の中で兄ばかりが優先されていると感じていて、自分は尊重されていないと不満を抱えている。学校にも通えず、家族から任された体力仕事にあけ暮れる毎日で、将来に希望が持てない。そんなある日、タイに出稼ぎに行った人の話を聞いて、自分もそこに行ったら何かが変わるかもしれないという期待が芽生える。そして彼はブローカーを頼りに無一文でタイに密入国するのだ。

しかし、工場での労働だと教えられていたのに、着いた先は漁港だった。少年は言われるがまま船に乗り込んでしまう。そこでは、奴隷として非人間的な強制労働が行われていた。ろくな食事も与えられず、病気になった奴隷は海に打ち捨てられる。周りが海なので逃げ出すこともできない。そんな状況下で、善良な少年の内面は変化してゆく。

この映画は、景色がひたすらに美しい。それは、重々しい物語のなかで観る人へのせめてもの救いであったが、同時に人間の暗い部分がより際立って恐ろしくもあった。

カンボジアのどこまでも続く田園風景と、そこで暮らす少年の行き止まり感。光が反射してきらきらと幻想的にかがやく海原とそこに浮かぶ船で行われる残虐な行為。人の命があまりにも軽く扱われる環境があることや、限りなくゼロに等しい選択肢のなかで生きることについて思いを巡らせざるを得ない。

さらに目を覆いたくなることには、物語はフィクションだが、強制労働自体は取材に基づいて描かれているということだ。東南アジアというここから遠くない地域で、今でも現実に行われているそうだ。

そして「まだこんな非人道的なことをしている場所があるのか。ひどいな」なんて他人事ではいられない。なんてったって、先進国で暮らしている自分は、知らず知らずのうちに搾取する側に立っているかもしれないのだ。

奴隷労働に従事させられた一人の少年がどういう状況に置かれて、どう変化してゆくかを丁寧に追うことによって、否応なくそのつらさを目の前に突きつけれられる。ドキュメンタリーではなく物語だったからこそ、より効果的だった。

物語は、最後には絶望感だけを残しては終わらない。ラストに少年が見せた表情からは、彼という人間のこれからの未来、ひいては同じような状況にある人たちの未来について、ほのかだが確かな希望が感じられた。

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