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映画『マティアス&マキシム』感想

それぞれの日々の連続でつくられた線が、あるとき交差して恋になる。その瞬間をこれでもかというほど情緒的に映しだしている。

マティアスとマキシムは幼なじみで、30歳をすぎたころだ。幼なじみグループで別荘に集まりパーティをしていると、友人から短編の学生映画に出演してくれと頼まれる。しぶしぶながらも2人は了承する。その映画でキスシーンを演じたことをきっかけに、いままで蓋をしていた互いへの想いを自覚しはじめる。近々オーストラリアに旅立つマキシムは、関係について話し合うことを求める。しかしマティアスは、自分の気持ちに動揺を隠せず、彼を避けるようになるのだった・・・。

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心情とリンクするモチーフ

カナダ、ケベックの美しい景色が印象的だ。太陽が反射して輝く湖畔、風を受けてそよぐ木々が、ピアノが奏でる音楽と調和している。
ただ美しいだけでなく、心情をあらわすモチーフとしても使われる。特に水の表現は、あふれる恋心をあらわすモチーフとして象徴的に繰り返される。
学生映画に出演してキスした次の日の早朝、まだ誰も起きていない時間に、マティアスは邪念を振り払うように湖に飛び込んで泳ぐ。その泳ぎは決して優雅なものでなはない。手足をバタつかせて、溺れかけているようにも見える。しかも、ひたすら進むうちに遠くまでいってしまって迷子になり、戻るころには仲間に心配される始末である。
ここでは、キスによってマキシムへの恋心を自覚してしまい、困惑でぐちゃぐちゃになったマティアスの感情と、水面にひろがる波紋が重なる。

また、マキシムがオーストラリアへ出発するまえ最後のパーティの場面でも、水のモチーフが使われている。
マティアスは、マキシムへの気持ちを自分で認められずにいながらも、他の男と近距離で話しているのを見ると、嫉妬してささいなことにキレてしまう。仲間にいさめられて、和解するためにマキシムのもとへ向かうマティアス。そして部屋で2人きりになると、ついに欲望のタガがはずれて互いを求め合うのだった。
熱い目線を送りあうショットで雷が鳴り、夢中でキスをしているとき窓の外は豪雨だ。マティアスとマキシム双方の止められないほど溢れだした気持ちと、土砂降りの雨がリンクしている。

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このシーンは、静と動の対比ともいえる。急に激しい雨が降ってきて、リビングでパーティをしている人たちは庭にある洗濯物を取りこむために慌てて駆けだす。動きのあるショットだ。
かたや別室にいる2人は激しい雨に気付いておらず、重なり合う手のひらが印象的に映される。あまり動きのないショットである。

また、会話においても静と動が成立している。
この映画はとにかく会話シーンが多い。幼なじみグループ、親、会社の人にいたってもそれぞれ他愛もないことをしゃべりまくる。
一方、マティアスとマキシムは学生映画でキスをして以降、全くといっていいほど言葉を交わさない。そのかわり、熱のこもった視線を送り合う。

本作の公式ホームページに寄せられた著名人コメントのひとつに感動をおぼえた。
「この映画のテーマは言葉。言葉で成立するのが友情。言葉が消えたときに愛は生まれる。」という鈴木敏夫さんのコメントだ。この短い言葉に、彼らの関係が集約されていると感じた。
濁流のごとく会話がおしよせるなかで、2人だけが喋らない。愛は静かだ。

マティアスとマキシムの人物像

2人の人物像に目を移すと、どちらも複雑な事情を抱えている。

マキシムは、家庭環境に問題を抱えている。薬物依存の母を懸命に支えようとしているが、当の母につらく当たられる。ただでさえ家族問題で精神的負荷がかかっているうえ、マティアスにたいする気持ちへの戸惑いや、当人に避けられていることによってしんどさMAXである。オーストラリアでの新生活がひかえているのだってストレスだろう。正直彼が置かれている状況がつらすぎて、誰か思いっきり甘やかしてあげて・・・と切実に思った。
マキシムの顔には印象的な「あざ」がある。しかし、なぜあざができたのかという理由が語られたり、物語に直接からんでくることはない。ただ存在している、というのが個人的に心地よかった。

マティアスは、「男らしさ」や周りからどう見られるかということを気にするタイプだ。具体的な理由は明かされないが、父と同じ弁護士の仕事をしていることが周りの目を気にする要因のひとつだろう。
また、幼なじみグループの中で(おそらく)ただひとり婚約者がいる。これについても、どういう経緯で婚約したかは明かされない。「男らしさ」の体裁を整えたかったのかもしれないし、胸の奥にひそむマキシムへの想いを打ち消したかったのかもしれないし、単純に婚約者が好きだったのかもしれない。
学生映画でキスしたあとは、マキシムを意識しつつもその想いを自分で認められずに苦しむ。マキシムを避けたり、「あざ野郎」とひどい言葉を吐いたかと思えば、熱い視線で見つめたり、優しく抱きしめて愛おしそうにあざにキスをする。
彼の自我は、芽生えたての幼児か?というくらいもうグラッグラだ。
もちろん、普段からそんなDV男のような性質なわけではない。セクシャリティの揺らぎは、特に男らしさにとらわれている人とってはかなりの動揺をもたらすはずだ。それにしたって、自分の行動によってマキシムが傷つくことに考えがおよんでいなさすぎる感は否めないが。

ラストシーンの意味

ラストシーンはどう受け取ってよいか悩む終わりかただ。特に、マティアスが見せた表情の意味についていまだに考えあぐねている。

概要をあげると、マキシムはかなり前からマティアスを通して彼の父にオーストラリアで働くための推薦状を頼んでいたが、何度聞いても「届いていない」とはぐらかす。ついに出発当日になって切羽詰まったマキシムが、直接彼の父が働くオフィスに電話をかけると「3週間前に送った」と聞かされて、マティアスが嘘をついていたのだと知る。
おそらくオーストラリアに行ってほしくないためだろうが、そんなことを知るはずもないマキシムは、関係が取り返しのつかないほど拗れてしまったのだと悟り、せきを切ったように泣き崩れる。そして空港に向かう時間になり家から出ると、そこにはマティアスの姿があった・・・というラストだ。

ここで不思議だったのは、マティアスがマキシムにたいして、満面の笑みで手を振っていたことだ。申し訳なさを含ませた気まずい表情や決心をした顔なら分かる。マティアスは、避けていたことや推薦状を送らなかったことについて説明をする必要があるからだ。自分の気持ちを伝える必要もあるだろう。
だから、あの笑顔の意味がよく分からなかった。葛藤のすえ、自分の気持ちを認めたからこその晴れやかな笑顔なのか、それともオーストラリア行きに乗じてただの幼なじみに戻ろうとふっきれた笑顔なのか・・・?前者だと思いたい。

気になった点

ひとつ気になったのが、ポスターから受け取る印象と実際の物語がだいぶ異なることだ。欧米版ポスターのほうが内容に合致している気がする。
観る前は、ひたすらマティアスとマキシムの関係に焦点を当てて追いかける物語だと思っていたが、それぞれの生活の描写に時間をかけている。2人の関係は、そのなかのほんの一部にすぎない。逆に、2人の関係性のみを期待している人にとっては物足りなく感じてしまうかもしれない。

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恋はメインテーマであるものの、幼なじみグループや仕事仲間、家族との関係と重要性は等しい。特に幼なじみグループは、2人のこれまでを築きあげてきた大切な仲間だ。みんなすごくいい奴なのだ。何かあると心配してくれるし、理不尽にキレても謝れば笑って許してくれる。
マキシムの家庭環境が良くないにもかかわらず、グレたりしなかったのは彼らがいて気にかけてくれたおかげなのではないかと感じた。
しかし、だからこそ幼なじみが発した「花柄はゲイっぽいから着ない」などの何気ない言葉がちくりと刺さったりもするのが複雑なところだ。


ストーリーラインだけをなぞれば、幼なじみ同士が時を経て恋に落ちる、わりとよくある物語といえるかもしれない。本作で監督兼主演のマキシム役をつとめたグザヴィエ・ドランは「この映画のテーマは決して同性愛ではない。テーマは愛なんだ」とインタビューで発言しているし、実際そうだろう。
とはいえ、ハッピーエンドで終わる異性愛のラブストーリーが星の数ほど存在するのに比べて、同性愛のハッピーエンディングはまだまだ同量ではない(この映画がハッピーエンドなのかは微妙なところだが、少なくとも決定的な破局や死別したりはしない)。
そんななか、ドラン監督独特の風情たっぷりなラブストーリーを観られたのはとても良かった。

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