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この10年生きてきて
2014年の9月に性犯罪被害に遭った。
性犯罪被害には違いないのだが、「性被害」と言っていいのかは自分でもよくわからない。
そこまで直接的なニュアンスでもない。
眠っている時、わいせつ目的で侵入してきた男に身体の上に跨られていた。
抵抗しようとしたら腕を押さえられた。
男は逃げた。
それだけだ。
眠っている間に身体を触られたのかどうかはわからない。
数カ月後に男が逮捕されてからも、どのような供述をしていたのか知らない。知りたくもなかった。
これは性被害なのだろうか。
だけどその後私はわかりやすく体調を崩した。
PTSDという診断も受けた。
今はうつ病の治療中だし、事件にあってから不眠症はずっと治っていない。
今年で10年経つのか、と
ふと思った。
何回も死にたくなった記憶があるし、今も健康ではない。
よく生き延びたなぁ、としみじみ思う。
この10年、社会でも色々なことがあった。
伊藤詩織さんが性被害を告発して記者会見を開いていた光景は忘れられない。彼女は私と同い年だった。その後起こった彼女への誹謗中傷は凄まじかった。それがこの社会をよく表していた。
その後にmetoo運動があって、2017年には性犯罪に関する刑法が110年ぶりに改正された。2023年にも再改正されている。
性被害を告発する勇気ある人も次々現れた。
また、ジャニーズ騒動により、男性の性被害にも目が向けられるようになった。
どんどん、こんなふうに変わっていけばいい。
加害者を生む「男社会」の問題に目が向けられるようになっているのは良い傾向だ。
こんなふうに、気づけば私は、この手の話題から目が離せない。
自分の身に起きたことを「性被害」とするなら、
私なりにその言い方を変えるならば、
それは「生の根幹の否定」だ。
根源的に、損なわれた、痛めつけられた、踏みにじられた、否定された、という気持ちがする。
それは生きる気力を奪っていくものだ。
そしてそれは「暴力」という卑劣な手段なのだ。
性被害も暴力もなくなればいい。
心からそう願う。
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