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「やりたくないことはしない」

適応障害と診断され仕事に行けなくなり、動かない体を姉宅で療養していたとき。

「やりたくないことはしない」
と姉から言われた。

私が「あれが心配だ」「これをやらなきゃ」「職場に迷惑が」「生活が」などとガタガタ言っていた時に、たしか言われたのだと思う。

わりと衝撃だった。
やりたくないことはしない?!
生きていけるのそれで?

しかし実際、姉の言う通りになった。
「やりたくないこと」をやろうとすると、一度メンタルブレイクを起こした私の体は、わかりやすく拒否反応を起こして、動けなくなった。
無理にこなすと、その後強烈な希死念慮がわき起こった。

やりたくないことは、できないんだ。

私は悟った。

だけれど、やりたくないことをせずに、生きていくなんて、そんな都合の良いことがあるのだろうか?
生きていけるのだろうか?

それから、その言葉の意味を、私なりにずっと考えてきた。


「やりたくないことをする」のは、私にとって当たり前のことだった。
やりたくない、嫌な、屈辱なことを強いられるのが、生育環境で当たり前のことだったからだ。
だから、それらのすべてを私は当たり前のように受け入れてきてしまった。

何が自分にとって「やりたくないこと」なのか、考えても自分でもよくわからなかった。
その時、「やりたくない」「無理な」のかどうかは、やってみて、もしくはやろうとしてみて、体や精神の反応を見ないとわからなかった。
そしてだんだんわかってきたのは、体がもの凄く怠くなる、食欲がなくなる、涙が出る、イライラする、死にたくなる、というのが「無理」のサインだということ。

それがわかってもなお、「やらなくては」という強固な思い込みに突き動かされ、「やりたくないことはしない」決断を私はなかなか下せなかった。
「自分はこんなこともできないのか」と責めるのとセットで、とてもつらかった。
そして、「こんな自分は生きていけない」と希死念慮が出現するのだ。

そんな状態で悩んでいた時だ。
パートナーから
「できないことがわかるのは凄いことなんだよ」
と言われた。
「やめるのは失うことじゃないよ。答えを得たというだけだよ。それがわかったのは凄いことだよ。それがわかるまで頑張ったんだから」
と。

それまで私の中では
「できない」=ダメ、悪いこと
という図式が無意識にできあがっていた。

他人に対してはそんなふうに思わないのに、自罰的な感情がとても多く、自分を苛めるように自分にダメ出しをしてしまっていたのだ。
パートナーからの言葉は、行き止まりだと思っていたところに実は違う道があった、というように、新鮮に私の心に響いた。
姉から「やりたくないことはしない」と言われてから1年が経ったところだった。
その言葉の意味がだんだんわかってきた気がした。

それからは、本当に、徹底的に、やりたくないことはしないで生活してみた。
会いたい人としか会わず、行きたいところしか行かなかった。
傷病手当を受けていたので働かずに済んだのもある。

その中でもちょくちょく、「嫌だけどやらなくてはならないこと」はもちろんあった。
そういう時は、泣きながら、文句を言いながらやるしかない。なんとかできればいい。そうして、不調にも不眠にも食欲不振にもならずに済めば、万々歳だ。
終わったら美味しいものを食べた。

それまで私は、文句を言ってはいけないと思ってたし、泣くのも嫌だった。弱音を吐けなかった。しかし、弱音を吐くのは大事なのだ。

そうか、こうやっていけばいいのか。


「やりたくないこと」の見極めは、まだまだ学び中だ。
現在私は、絶賛「やりたくないこと」をしている。
介護支援専門員の研修である。
やめたい正直。
だけど心の中に聞くと「やめるのはもっと嫌」と言っている。
結局やりたいことをヒィヒィ言いながらやっているだけのような気もする。

けれども、しんどい研修であるのはたしかなので、健康に気をつけ、無理せず、
いざとなったらやめてやると思っている。
それまではやってみるのみ。

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