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穏やかさの裏の裏 Unpacking Within #1-1

はじめに

人生には、荷物整理がつきものだ。

人生は旅に例えられる。仕事をし、本を読み、人に出会い、話を聞き、新しいことを知る。大事にしたいことが増える。
バックパックに背負うものがどんどんと膨れ上がる。

そのうちにそのバックパックの重さに窮して、開けることすら躊躇われるときがくる。

けれど、勇気をもってバックパックを開けるとこからしか物事は動かない。
中身を取り出して、畳みなおす。小さくする。

要らないものがあったら捨てる。そうしているうちに、運が良くもっと便利なもの、小さなものに交換できる。

そうしたら、またゆとりができる。そこにはまた新しいワクワクするものを詰められる。

Unpacking Within.

今日もまた、背負った荷物に込められた物語を語り始める。
今回の旅人は、穏やかそうで、街中でふと見かけてもおかしくない、ごく普通の雰囲気を漂わせていた。

これは10/7 Unpacking Withinにて聞いた話をもとに再構成したものです。
誰の話なのか、等の詮索はお止めください。

彼女が仕事をやめたわけ

「量り取った薬の量が、手に持っただけでわかるようになって。」
「秤に乗せたら思ったような数字が出て。誤差も1割ぐらいで。」
「すごいじゃないですか」
「いやよ、気持ち悪い。」
「気持ち悪いんだ」
「それでもうヒーッてなって仕事やめちゃった。」

昭和と平成の間、夜空に人工の夢が浮かぶころ。「いい大学」「いい会社」「いい結婚」の夢を信じていた人が多い時代。彼女は薬剤師として生計を立てていた。

引用:Osaka at Night Blog

「ほら、どんだけ景気よくても悪くても、みんな病気するしいつかは年取るでしょ。悪いけど、今なんてみんなしんどいから薬が売れて儲かるのよ。だから薬学部。」
「ちなみに頭良かったら医学部行きたいと思います?」
「思わないわー、だって怖いじゃない」
「確かに。オペ失敗したら人死にますしね」
「責任取れないわー」

時流を読み切り、手に職をつけ、あとは悠々自適に暮らせばいい。なんて素敵な人生計画なのだろうか。
日本のどこかには仕事は必ずあると安心し、余ったお金で趣味をやって、いい人がいたら結婚すればいいし、いなかったらそのまま勤め上げてもいいし。
僕も薬学部行けばよかったか……?いやでも薬の名前覚えるの絶対いやだな……などと益体もないことを考えてしまうぐらいには、いい。

けれどそんな完璧な人生にもひたりひたりと影がにじり寄る。

「だいたい仕事覚えて、処方箋の癖もだいたい覚えて」
「もうそしたら楽勝ですね」
「いーや、飽きちゃった」
「……あー」

退屈。それは人類が農耕を始め、暦に従って生きてから発生した、長く人類が患う病の一つである。
特に冬、田畑が雪に閉ざされ、食べるものも少なく、うっかり旅に出ようならいつ野垂れ死んでもおかしくないとき、人は「やることがない」に遭遇した。あまりにもやる事がないので人は狩猟をし、わらじを編み、火鉢を囲み、歌を歌い、酒を飲み、そして誰に望まれたわけでもないデイリーを回す。


「わざわざ頑張って入ったホワイト企業を、やりがい不足で辞める」という現象も、この退屈の症状の一つである。そしてバブルだろうとそれは変わらないのである。(いや、あるいは退屈だからこそあの熱狂が生まれたのか?)

彼女は処方箋の癖を読むのが好きだった。
患者に言われた通りに薬を出す医者。独自の世界観で、決まりきった薬を出す医者。真正面から分析し、最小限の薬を出す医者。どれが良い医者でどれが悪い医者なのかはさておき、とにかくいろいろいるのだ。

しかし、だいたい薬局に来る患者がもらってくる処方箋は、近場の病院のものと相場が決まっている。だからいずれ処方箋の内容と医者の名前が一致する。それが薬剤師における「板につく」なのかもしれないし、あるいはそれが「飽き」になるのかもしれない。

「キャリアアップして店長?……薬局だから局長?とかになるって選択はしなかったんですね」
「いやよ、責任取れないし、お付きの病院が変わらないと退屈。」

まあ、それだけなら他の薬局に転職するという選択肢もあったはずだ。けれど、転職したとしても退屈をぬぐえない気配があった。それがあらわになったのが、「手で重さが分かる事件」だったのだろう。

……本当に?

努力は自己満足である

世界名画の旅

彼女はhatisAOに置かれた美術本などを見ながら、「知ればそれで満足なんですよ。5割でいいんです。」と言った。

たとえば世界の美術史について知り、物語を理解するのには興味がある。けれども自分で絵を描いてみようという気は起きない。<<収集心>>っぽい動きだ。

収集心:情報を集めることが好きな資質。情報を集めるついでにモノをコレクションすることも多い。知識の引き出しが広いので、色々な話題についていけるが、自分でそれを活かそうと思うかは別の話だったりする。特にストレスが溜まっているとき、浪費家となる人もいる。

けれど、それだけならば、「手で重さが分かった」だけでは何も恐れることはないはずだ。何か心外なことが起こった反応だ。

ひょんなことから、「記憶をひきついで20才に戻ったらどう生きるか」という話になった。
僕はどう生きるだろうか。とにかくITだけはやらないだろう。システム開発特有のレスポンスの遅さはもうこりごりだ。大学生のうちにサービス作ったりとかしたいし、何よりもっと「人間の魂」的なものに向き合いたい。

彼女はきっと同じ人生を歩むという。
「もう飽きているのに?」
「はい、どうせ私は他の生き方はできないから。」

その瞬間、僕の頭の中でグラフが描かれた。

右側のやつ 出展:進研ゼミ

期待がないというか。状態が収束しているというか。エネルギー的に安定している状態を保ち続けているというか。運命に対するあきらめは、<<運命思考>>的でもある。

運命思考:「物事はすべて大きな流れに繋がっている」と捉える資質。ありとあらゆる出来事を一つの考え方にまとめ上げることができる。東洋医学や占い、スピリチュアルが好きな人も多い。非論理的な繋がりが軸になるので、特殊な世界観を持つ人も。スミーの『荷物整理』も運命思考のたまものである。

決して悪いことではない。極小は必ずしも最小ではない。安定するだけの理由がある。そしてきっとそれを安定と捉えただけの理由がある。
彼女の「それ」は、少なくとも小学生の時からあったらしい。

「小学生の時逆上がりあるじゃない。あれ私なかなかできなくて」
「難しいですよね、僕も苦労したなあ」
「それで、友達の運動得意な子に教えてもらったりもしたのだけど、それでもなかなかできなくて。」
「コツつかむのって難しいですもんね」
「それで思ったんです。ああ、努力って報われないんだな、って。努力が仮に報われるとしたら、それは自己満足なんだな、って。」
「壮大なあきらめだ」
「だからそんな頑張らなくてもいいや、って。5割でいいと思ったんです。それでいろいろ楽しめれば。」

薬学を選んだ理由が透けて見えた。
博学であることが求められるが、職人的でもなく、さりとて需要が消えず、転職や復帰も難しくない。そういう仕事を選んだのだ。
そうすれば、リタイアまで食っていける。なんだったら80,90まで名物先生として生きている人だっている世界だ。ワクワクする未来ではなく、努力にもならない範囲で確実に通せる範囲だ。

……いや、薬学部に入るのそんなに簡単じゃないとは思うのだけど。まあいいか。

とにかく、自己満足のラインは「5割」で、それ以上をやる必要を感じない。
だからこそ、うっかり職人芸を覚えてしまったが故に「気持ち悪く」なったのだろう。

「期待」が重くなったわけ

しかし、職人に「ならなくてもいい」のはわかったが、職人に「なるのが気持ち悪い」というのは少し論理飛躍がある。

「親を超えられないと思うんです。」と彼女は言う。超えられない。何をもって?という疑問はあるが、とにかく超えられない。
責任を取るであるとか、上に立つというのをめんどくさいとも思うし、いざ上に立つと考えがまとまらなくなるという。

そういえば。

「家族って今いらっしゃるんですか?」
「再婚して旦那がいます。」
「ちなみにお子さんは……?」
「いないです」

「できなかった」というニュアンスは含まれていないように聞こえた。自ら子供を作らないという選択をしているように聞こえた。
何かを断つのだ、終わらせるのだ、という風な意思を目から感じたのを覚えている。

そこから出てきた話は、壮絶なものだった。


生成:DALLE-3


家業が立ち行かなくなった。
子供のころに家族が自殺した。
大人になってから家族が行き倒れになった。

我が家は、ことごとくうまくいかなかった。
親はその上の世代よりうまくいかなかった。自分も親よりうまくいく気がしない。それでも生きていくしかない。
でも、仮に子供を腹を痛めて産んだのであれば、そんな思いをさせたくない。
だから、継がせるわけにはいかない。閉じていくしかない。



確かにお子さんはいらっしゃらないかもしれない。けれどその目は確かに母の目だった。
産まない事を選択した、自分の血筋を、これ以上苦しめたくはないと物語っていた。

「神棚を捨てました。」
「うん」
「いずれ家を畳むのだから、終の棲家には持っていけないから。」
「そうですね」
「そう思ったら、ただの粗大ごみに見えてきて。だから本当は神主さん呼んだほうがよかったのだろうけど、私たちで柏手一つ打ってから、ごみ収集所に持って行って処分してもらいました。」

彼女は前を向いていた。
その瞳は不安や躊躇いで揺れてはいなかった。

「期待」を捨て、「世界」を広げる

お茶菓子に紛れ込んだ塩レモンせんべいを一欠食べながら、彼女はこう言った。

「5割でいいの。でもせっかくなら色々知りたいの。なんでスミーさんはこれたくさん食べてるのか?って。でも別に味が分かったら満足。」

彼女が塩レモンせんべいに手を伸ばしたのはその一回きりだった。

「そしたら本屋とかお好きなんじゃないですか?」
「最近結構潰れちゃったけどね、若いころはダイアモンド地下街の有隣堂によく通ってたわ」

ダイアモンド地下街:横浜駅西口地下にある地下街。東京の地下街に比べれば広くないものの、道が分かりづらいことで有名。現在はジョイナス地下街として高島屋・MORE's・ジョイナスと繋がり、さらに迷いやすくなった。

「あそこ便利で広いですもんね。本選ぶときってどう選んでます?」
「……?特にこだわりないかも」
「ぱーっと見て回って、なんとなく目についた本を買う感じですか?」
「うーん……『選んだ棚の何列目、左から何番目の本を買う』とだけ決めてから、棚を選ぶ感じ?」
「ランダムだ!」
「なんでもよかったのよね、目新しければ」

ああ、ここでも「期待」がない。選書に自信があるわけなければ、求めているものもない。たたただ出会いに開かれているだけだ。<<運命思考>>的だ。

<<運命思考>>か。なるほど一本筋が通る。
彼女の運命は、「一家が繰り広げた物語のエピローグをやりきる」所にある、と捉えて、受け入れている。
だから、エピローグに繋がる所はやりきるし、うっかり繋がらなくならないように堅実に生きる。
そして運命が乱れない程度に遊ぶ。

たとえそれが壮絶なものだったとしても、運命を味方につけて、敵に回さないように慎重に進めている限り、安心して前を向ける。

出典:photo-ac

「私、縁側で猫撫でながら過ごすおばあちゃんになりたくて。」
「いいですね、のどかで」
「今の家に縁側はないし、猫もいないけど、なんだかそういうおばあちゃんになれてきている気がするの。」

諦めたことの方が多い人生だったかもしれない。名もない人生だったかもしれない。
荷物はどれも僕にとっては不思議な形をしていた。
そしてどれもが彼女の宝物となっていた。

2時間かけて、僕は宝物のほこりをちょっと払い、そのまま戻すだけだった。
大丈夫。彼女は自分のバックパックの容量をわかっている人だ。この人ならきっと最後まで。


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