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子供の頃の夢を叶えてみる インターネットって魔法のツールだな

漫画家を夢見た幼少期

自分は今、何者なのか。イマイチよく分からない位置にいるが、企画したりデザインしたり先生したりWEBマーケティングしたり… クリエイティブな環境に身を置いているようには思う。

これは小さな頃からの夢に起因するもので、自分が望むことと求められるもの、それと時代がマッチした結果だ。好きなことをしている、概ね。

しかし、パーフェクトに夢を実現してはいない。自分の夢は「漫画家」だった。

小学1年生の図画工作の授業で描いた「動物園に行った思い出」を描いたトラが横たわった絵が、市の展覧会に出品された。これがちびっ子心にとても嬉しくて、絵をたくさん描いた。

小学2年でガンダムを描いた。複雑な絵だったから根気が必要だったが、根気よく描けばとても小学生2年の絵には見えないほど映えるものになった。

小学3年、ドラゴンボールが始まった。夢中になった。

小学4年、ノートにマンガを描き始めた。ドラゴンボールもどきの格闘冒険マンガだった。

この時まで、学年で1番の高身長だった自分はスポーツでも少々目立った。だからスポーツ選手とういう夢も並行していたが、漫画家を夢見るようになった。

ノートにコマを割り、思いつくまま描いていく。ネームなんて知識はないから、ストーリーは描きながら臨機応変に進む。井上雄彦風に言えば「キャラクターが勝手に動く」ようにストーリーが出来上がる。即興で音楽を奏でる、さながら虹色侍か眉村ちあきか。

あの頃の自分は、多分天才だった。

夢は変態

その後、年齢を重ねて凡人に成り下がると漫画家という夢は変化を遂げる。まず第一変態はイラストレーター。中学生くらいに漫画家は現実的ではなさそうだぞ、と感じた結果だろう。

第二変態はデザイナー。仕事に就くということを現実として受け入れた時、会社員とういう選択の中からデザイナーが適当と感じたのだと思う。

そしてデザイン科のある学校へ進学。

卒業後就職しパッケージデザインや各種印刷物のデザイン、WEBデザインも始めて色々手掛けた。

自ら発信するスタイルができる現代

デザイナーという仕事でイラストが必要なことがある。そんな時は自分で描く。仕事が早いし、たまには描いてみたいから。

そんなことからイラストレーターという仕事については、なんちゃってだけど叶っているのかもしれない。

そうなると漫画家だ。

漫画は求められて描くもの、それがプロだと思っていた。大好きな少年ジャンプ、ここに掲載されるのは選ばれし者。選ばれる必要がある。

選ばれなければ漫画家にはなれない。そう思っていた。いやそうだったに違いない。

しかし!それは崩壊し勝手に描いて、読んでもらえるかもしれない場所には置いておける。そんなことがあるできるインターネットの時代に今生きている。

真剣にマンガと向き合ってきた方々は「同人誌があるやろ」と突っ込むところだと思う。もちろんそうだと思うし、同人誌を創造している方々はもうスマホ普及以前からインターネットに作品を掲載していることも、知ってはいる。

ただ自分はその世界に疎く、その世界に生きていないことから、自分自身に結びつけることがなかった。

そんななか、この「note」で文字情報を発信する身になって改めて「絵も発信できる」と気づいた。

遅い。遅かったが、今気づいたならそれから始めるしかない。

よしやろう! そのうち文字情報だけではなく絵も載せますので、よろしくお願いします。

何を描くの?

とりあえず今はノープラン。何をしようと考えてはいない。
そして改めて「マンガ」と考えると億劫でもある。ずっとやってないし小学生の時にノートに描いていただけで、同人誌を創造している人たちのように「作品」としてできるはずもない。

しかしここもナイスなインターネット。殴り描きのマンガもよく見かける。これでいいんだ、さっさとやれよと言ってもらえてる。

というわけでノープランだけど、子供の頃の夢を実現してみることにした。

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