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人間関係に窒息してしまいそうになっていた夜。

今日は日が暮れる頃に活動を始めた。約束してた時間には、間に合うよう家を後にした。

チャミスルってお酒を彼女から教えてもらった。それは韓国のお酒らしく、可愛らしさも感じる韓国語のラベルの貼られた瓶を眺めながら僕は「酔えるのなら何でも良いよ」と言った。

気がつけば今に至るまで、彼女とはなんとない感覚で関われていた。お互いに、その程度だと思っているだろう。自分達が、度々感じてる退屈なんていう感情の埋め合わせをする為に、会えるタイミングがあれば会う程度のようなものだろう。何かを深く探ることはないし、異性だからとかいって気にもされてない、話せる都合のいい他人くらいの距離の中。こうして気兼ねなく関わっていられるからこそ、ちょうどよさを感じている節もある。

ダメな本音を言う人間関係には、少しくらいの距離があった方がいい。自分の思っている普段発言すれば恥でもかきそうな、そんな本音さえ言えたりするから。

生きているから些細にも、人間の持っている巧妙なアンテナが不意にキャッチする不快感があって。そういうのを、こうした場でなんとか言葉に変換し、遠慮もせずに会話の卓上へとチョイスする。思っていることをそのまま出し合えば、溜めこんできたモノを程よい人とお酒を交えて消化できたりする。

それでいて距離があれば誤って流した本音さえ、後々冷静になってしまったとしても。普段の生活とは深い縁や関わりがない分、支障も出ないだろうからという自分の失態への後腐れが少なく、気を緩ませられる辻褄となるから。

そういうことを分かってか、飲み始めてからある程度時間が経ってきた所で。「人間関係やってたら、窒息でもしてしまいそう。」なんていう一見、馬鹿みたいな本音を彼女から漏らしてきていた。今彼女は、多分酔っているのだろうけど、あいにく顔に出るタイプじゃないから、普段と同じ顔つきに見えるために確証はない。

確かにその感覚は、僕にも分からなくもなかったが、片や窒息なんかはしないだろうと思いながら、返答するのに少し間を置いて。まぁ、そこまで大袈裟に表した根には、日頃に溜めてきたストレスの原液みたいなものを、言葉に混ぜたからだろうと俯瞰し。

彼女が特別人間関係が下手な訳ではないと思うけど。「窒息してしまいそう。」だなんて表現をしたところ、好きで他人とは連まないのだと思う。そして好きでもないけど、関わらなければならないものなだけあって。そうした存在が、この世にいることで、それを避けられないながらに受け流す必要性と、それに付随してる抵抗感みたいなのが、胸のどっかでつっかえている気でもしているのか。

まぁそうした息苦しさみたいなものを、他人から与えられたにしても。その吐き出し口もまた、他人に対してなのだろうかと考えていたら、僕はそんな窒息してしまいそうな人間関係さえ、呼吸をするのには必要なのだろうとか軽く酔った頭で考えていて。

僕は、僕の思ってる普段の人間関係に対する不満の事例なんかを、更にそれへ混ぜ合わせるような回答をしていて。

「自分を分かってくれている人なんていないんだろうね。」なんて、なんか遠くでも見るような言葉で彼女が続けてきたから。僕の中にある直感のようなものは、避けたいからといっても、どうしようもできないと感じるけど。どこかには吐き出さなければならない、無意識に思い溜まる不純な愚痴なだけであるのだろうな、とも感じていた。

こういう悟っているみたいな吐露のようなものに対して、解決するための案の提案するだけで、悩む人の心なんかは浄化できないのだろうと感覚で思いながら。彼女にしろ、なんてどうしようもない問題だと片隅では思っているんだろうからこそ。本当は世の中がどうのこうのよりも、上手くいってない自分から見えた世の中を言葉に表して提示していたいだけで、そうした意思表示されたことに寄り添わないのは、僕がこの場に居る意味もないのだろうなと思わされる。

どうしようもないことに対する愚痴みたいなものだけど。お互いに、そんなどうしようもないことに対して「どうしようもないじゃん」って、冷めた目つきで、諦めたことを言って遮断するのではなく。今自分が感じてしまう変な感情を露わにして、ただ、お互いにそれを曝け出したいだけのような場だと理解して。

彼女が言ってた窒息しそうだって言葉に、少しだけ共感するように言い合い、浅く話を広げ。でもやっぱり、それでも逃げ出したくても、逃げ出せない空気感がこの世の中には一部あるのを認めて改めて確かめたような、落とし所に行き着いてから。正解かどうかも分からないアルコールの混じった答え合わせに嗜んでいた。

それらには何一つ合理的とか、生産性とかもないし、誰かの得にさえなっていないと分かっている。ただそれでも、こういう時間を僕らには何故か創れてしまう。誰にも言えなかったことを、ただ、否定もされずにダラダラと言い合う瞬間に、ノーガードな、こんな人間関係が一つあるだけで。真面目に生きている人生の中で、払拭出来なかった気持ちの浄化ができた気になれるから。

ただ自分達の言いたい御宅だけを並べることが、それほど悪いことではないと思っていて。否定されることなく気ままに言い合って。とにかく気持ちが良くなるまで続けてしまう。

そうしていたら、こんなチャミスルなんかでも一瞬で飲み干してしまうし、今日も気持ちよく酔えていたのなら何だって良く思えてくるし。明日になったら、体に残ったアルコールと一緒にこの気持ちさえ、分解されてなんとか日常へと正しく戻ってける気がするから。

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