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Life Is Beautiful

PTA活動が無事トラウマとなった後は年度始まり前後の会合は絶対欠席せず、可能な限り自分が得意そうな「下っ端役員」に自ら立候補する作戦をとっている。
攻撃は最大の防御である。
どうしようもないのはくじ引きとか輪番で皆がやることが既に決まっているパターンだ。
そんなときはここで任意団体とは、ボランティアとは、民主主義とは何ぞやと議論している場合ではない。
立候補や互選ではないのでできるだけ発言して(目立ったからと言って役職を振られるわけではないから)やり方を変えることはできないか、自分は○○ならやれるが?と、少しあがいてみる。
そんな当事者同士の会合で規則を簡単に変えることも難しかろう ー とりあえずちょっとおかしいんじゃないかと思っていることを意見表明したうえで、少しでもその場の空気をかき回して和やかな雰囲気に、しゃべりやすい状況になればいいと思ってやっているだけだ。
そうやって時間稼ぎをしつつ、引き継ぎ書のなかでどの役職だったらどんな作業や参加しなければいけない会合がどれくらいの量や頻度であるのかをチラッチラッと確認しておく。

学校に関していえばその後の小学校では下っ端役員作戦を成功させたり、次の小学校ではPTAそのものがなかったりであった。
中学校は子供が3人もいて、合計4校お世話になったが一度も役員にならなかった。
小学校が大変だったから神様が休養をくれたのかもしれない。(まあ、ちょうど役員選挙の時期に引っ越しだったり、こどもが不登校になって懇談会に出席しなかったりと事情もあったんだけどね。)
高校は3人とも別々の学校だったがどの学校も1年生で役員になったら卒業まで役員ということで、しかもどの学校もじゃんけんだった!
これは3年に1度の大勝負!と力が入ったが、役員になったのは娘の時だけだった。
そしてこれは今となっては申し訳ない話だが当時相方が失業⇒転職活動⇒発症とほとんど家にいたので彼にやってもらった。
やることがあった方がいいだろう、ハローワークや病院以外にも居場所があった方がいいだろう、なんて思ったけど。
相方が卒業直前に急死しちゃったからPTAからも香典をもらったよ。

こんな感じで転居を繰り返してきた我が家なので当然居住コミュニティもいろいろ移り変わってきた。
あたし個人で言えば結婚前から国内外で動き回ってきたので「地元」はないし、親も亡くなっているので「故郷」もない。
だからあまり地域コミュニティに愛着も感じていない。
ただ外国に住んだり、こどもを生み育てたり、いろんな町に住んだり、母子家庭となったり、まただんだんと体力の衰えを感じてみると、先人の偉大さを実感し人間誰にも迷惑かけずにひとりで生きている人なんていないということがよく身に染みてくるのだ。
個人的に滅びるものは滅べばいいというスタンス。
学校に関してはPTAは真の任意団体、ボランティアグループになるべきだ。
学校も子供も先生たちも大変そうだから、保護者で手伝えることは手伝えばいいと思う ー むしろできることはたくさんあると思う。
でも、今みたいに少子化なのに子供一人当たり必ず1回は役員をやるとか、役員が決まるまで懇談会から帰れないとか、役員やる前からやる仕事は決まってるとか、滅びていいと思ってる。
地域に関しては自治体ができることは予算も人員も限られているので市民が自助、共助でやらないといけないことは多いのはわかる。
自分も役員でもやらなければ地域のことはわからずじまいだし、やったらやったで自治会やマンションの管理組合が機能していないと財産や生活に問題が起こってからでは遅い事態になりかねないことも理解している。
ただ歴史と伝統が大好きな日本では、「長く続いているから」「これはもう地域の伝統」「自分の代で終わらせられない」なんて言われて、でもよくよく聞いたらせいぜい50年とか60年とかの歴史であったりしがち。
明治維新より150年以上、太平洋戦争より80年近くたった日本だけど、そういう戦後復興中に始まったものがただ続いているだけだったりする。
あたしのようなエイリアンが一人でレボリューション起こす気はない。
静かに、なんとなく、地域の片隅に入れてくれていれば大人しく暮らす。
こちらは転入してきた身なので受け入れ側があたしに合わせる必要はない、くらいの気持ちで地域の観察をして気を使って生活している。
だが、コミュニティで役割を果たせというのなら、受け入れる側にも意見を聞き、変わることも時にはやってもらいたいと思う。

では、実際問題としてさほどありがたみも共感も感じない地域の役目をどうこなしていくか。
これは文化人類学のフィールドワークなんだと思うことにしている。
こどもだましの空想ごっことあなどるなかれ。
これが意外とあたしには効果がある。
あたしは見た目どう考えても「平たい顔族」だし名前も和名だ。
関西弁ネイティブだし気を許すと英語がケイン・コスギになるが普段はインチキ標準語を操っている。
だから日本中たいていどこへ行ってどこの学校や地域の会合に出ても大人しくしていれば誰もあたしがエイリアンだとは気が付かないのである。
だからあたしの中で「ん?」「はて?」「おや?」となってることはだれも想像せずに周りと同じようにふるまうことが期待されるのだ。
相手はそんなあたしの葛藤がわからないからどんどん自分の価値観を押し付けてくるわけだが、あたしが思い通りにならないと見るや「変な人呼ばわり」を始め、理不尽にあたしの生活や人格に踏み込んでくる。
ここで(くっそ~!なんだ、こいつ!?)となって暴れ始めたらあの20年前のPTAにおける失敗の二の舞だ。
だからあたしは自分に(これは人類学FWなんだ!あたしは今現地人の新たな生態を発見したんだ!)(くっはあ~、こう来たか!)(きっついなあ~、でも、任期が終わったら帰国できる!)(今後も調査に協力してもらえるように現地人とは良い関係をキープしなければ!)などと言い聞かせて結構楽しく役員活動にいそしむのである。





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