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「土偶を読むを読む を読んだ」について

書店の歴史本コーナーは 世界史関連の本棚と日本史関連の本棚で大概分かれている。
日本史の本棚はおおよそ順番に旧石器時代、縄文時代、弥生時代〜〜戦後と、時代の流れに合わせて書籍も並べられている。

縄文時代に興味を持った数年前から本屋に行くたび日本史コーナーを見廻すが、縄文時代関連の本は(他の時代に比べ)それほど多くなく、どこの書店でも(隅っこの方に)似通ったラインナップの本が置かれている。

土偶を読む

だが2021年4月に発売された 竹倉史人さん著『土偶を読む』という本だけはどこの書店でも面出しの平積みされており、目立たない縄文時代関連の本の中では別格の扱いをされていた。平積みにされた横のポップには養老孟司推薦・サントリー学芸賞受賞作などとある。

これは凄い内容なのだろうと僕も早速読んでみたが(立ち読み)、土偶の正体は食用植物をモチーフにしており「人型のフィギア」ではない という主張に違和感を覚えつつ読み進めた。いや誰が見たって人間の姿形をモチーフにしてるでしょ。
ただし、元来の考古学を揶揄しつつ「僕独自のイコノロジー理論って完璧でしょ」感をあれほどの分厚い本に出来る才能は凄いと思った。
同時にこの本を書いた人は本気でそう思っているのか、もしくは「UFO」の謎を説きました的な(ツッコミ待ちの)本として書いたのかがよく分からなかった。

第一この人は土偶の現物をほとんど見ていないのではないかと想像してしまう。目の前で見て そこにいる学芸員さんの話を少しでも聞けば立体物としての造形の複雑さや、数多くの土偶の中での立ち位置を知ることができるし、その土偶を作成した縄文人の思いまで少しは想像出来るはずだ。

どうも著者は一番初めに「結論というゴール」を強固な杭で打ち込んでしまったように思える。なので無理矢理なこじつけがあっても「“閉塞的な考古学者”を敵に立ち向かっている孤高の僕」をちょくちょく出してくるので、それで読者は目を逸らされる。

まぁこの本がベストセラーということは、この本の内容に共感している人が多数いるのだろう。なかなか気味が悪いが。
しかし本屋の片隅にしか存在しなかった縄文時代を表に出してくれたことは凄いことだ。この本きっかけで、他の縄文時代関連書籍を読んだり、実際に土器や土偶を見に行く人が増えれば縄文業界(?)にとっては素晴らしいことだろう。

土偶を読むを読む

書店に置いて無かったのでAmazonで買ったのだ

そのベストセラーとなった『土偶を読む』発売から2年経って、その検証も含めた内容の『土偶を読むを読む』が発売された。

当たり前なことだが大昔の縄文時代のことは分からないことも多い。だが残された遺構や遺物、その時代の気候や植生、地質等々 様々なピースを組み合わせていった結果、現在の 事実としての縄文時代像が出来上がっている。パッと見の印象で事実が判明することなどない。
考古学も進化していて、理化学が進化することによって火山ガラスやDNAの分析から新たな縄文時代が分かり始めているという。
そのような現在進行形の考古学や、明治期からの土偶研究の歴史がこの本には丁寧に書かれている。

その上で『土偶を読む』が言うところの“土偶の正体”の検証を一つ一つファクトチェックしていく。あえて検証する必要もない「俺の土偶論」を検証した著者の望月昭秀さんは、時間や手間がかかっても考古学に関わる人達の名誉を守るために面倒な役割を担ったのではないか。

『土偶を読む』は考古学者に相手にされなかったという。それと一般の縄文時代にもともと興味があった人も同様にこの本を相手にしなかったと思う。
それが土偶に興味など持ったことのない“ただベストセラーだから読んでみた”人達から見たら、「反論も出来ない程の素晴らしい説だから 専門家もぐうの音も出ないのだろ」となってしまった気がする。
広げすぎた風呂敷を畳むことはもはや誰にも出来ない。ただこの風呂敷はすぐ無かったことにされそうだか。

この『土偶を読むを読む』がベストセラーになることは無いだろうが、縄文時代を知る上でもとても読み応えがあるので『土偶を読む』肯定派の人も安心して読めますよ。

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