地方へ移住して起業とかするつもりなら知っておくといい概念:その7
「地方持ち家無敵一家」 「ミニ東京化の呪い」
①地方自治体やその外郭団体は多くの嘱託職員という名の非正規職員を抱えている。役場の窓口業務なんかをしている職員の多くは、この嘱託職員だったりする。長く嘱託職員として働けば正規職員になれるわけではなく、3年をめどに雇止めとなる。正規職員になるには、嘱託職員として何年働こうが狭き門の正規職員採用試験を突破しなければならない。
②この嘱託職員の給与は、一般事務職に限れば手取りで10万円~14万円くらい。とても少ない。この金額だと若者が実家から遠く離れて、一人暮らしするのは困難で、家賃・水道光熱費・通信費・食費・日用品費を払ったら、手元にはほとんど残らない。これでは結婚・出産・子育てなどの将来設計はとてもじゃないが立てられない。車を所有するなどもってのほかだ。そのため、必然的に若い嘱託職員の多くは実家通いが前提となる。実家通いということは、若い嘱託職員のほとんどがその市・町内の出身を意味する。地方自治体とその外郭団体まで含めると、嘱託職員の人数は結構な数となるため、不況時は失業率を低く抑えるためのショックアブソーバーの働きもする。見方を変えると、地域によっては最大の雇用主が「自治体&外郭団体コンビ」なんてこともあるため、地方の失業率は常に本来の実力よりも見栄えが良くなっている。
③嘱託職員の給与が低賃金とはいっても、実家通いが前提となると話が変わる。というのも実家住まいなら家賃・水道光熱費・食費・日用品費といった固定費的なものがかなり圧縮されるため、自由に使えるお金がそこそこ手元に残るからだ。特に家賃の「有る・無し」の違いは大きい。仮に1世帯4人全員(父・母・娘・息子)が嘱託職員で、全員手取り13万円という少々無理な設定を考える。住居は持ち家で、ローンや家賃の支払いはないものとする。この場合の月あたりの家計は以下の通り。
13万円×4人(手取り額)-2.5万円×4人(食費)-0.75万円×4人(水道光熱費)-0.5万円×4人(通信費)-0.25万円×4人(日用品費)=36万円(自由に使えるお金)
→年間だと 36万円×12ヶ月=432万円(※一人当たり108万円)
これなら、若い嘱託職員でも結婚・出産・子育てと言った将来への準備が可能だろう。3年雇い止めでも、知人に野良委員がいれば、それを通じて外郭団体の嘱託職員をハシゴできる。地方では地域社会との繋がりが太ければ職にあぶれる心配は案外少ない。しかも上記数式では全員手取り13万円の少々無理の有る設定での結果だ。これが「4人全員が嘱託職員」ではなく「2人が正規職員で2人が嘱託職員」として、正規職員2人の手取りが30万円だとしたら、かなりの額(年間の自由に使えるお金=840万円)となることが分かるだろう。
④非正規雇用の低賃金・不安定がよく議論されるが、家賃の支払いや親との同居の有無を考慮しないと議論が空転する。非正規に限らず雇用の低賃金・不安定の問題の本質の多くを占めるのは住居費だ。将来「おぎゃっ!」と生まれたら住居権なる権利が付与され、政府や自治体が借り上げた空き家に自由に住める時代が来るかもしれないが、それまでこの問題は残り続けるだろう。
⑤地方において以下に挙げる3条件を満たす世帯は強い。
条件1…住居費用が0円
条件2…地域社会との繋がりか太い
条件3…一家全員が現役世代で就業中
この3条件を全て充たす世帯を以下、“地方持ち家無敵一家”と名付ける。無敵と評するのは、高度な技能・経験を有さずとも、地域社会との太い繋がりで、それなりの豊かさを実現しているから。
⑥この“地方持ち家無敵一家”には、さらなる上位種がいる。家だけでなく、農地も所有し、農家を兼業している場合がそれだ。農家を兼業していると食費がさらに圧縮される。前述の数式で表すと、一家の家計は以下の通り。
13万円×4人(手取り額)-1万円×4人(食費)-0.75万円×4人(水道光熱費)-0.5万円×4人(通信費)-0.25万円×4人(日用品費)=42万円(自由に使えるお金)
→年間だと 42万円×12ヶ月=504万円(※一人当たり126万円)
通常なら必要でかつ主要な出費がかなり抑えられているため、多少のインフレや不況ではびくともしない。高度な技能の取得や高い学歴、高度な職歴を必要としない。今の日本で現実路線として取り得るライフスタイルの中で、おそらく最も堅牢な形態と言っても過言ではないだろう。この農家を兼業する場合を、“地方持ち家不死身一家”と呼ぶ。
⑦どちらの一家も、一家全員が現役世代であることが、豊さ獲得の必要条件となる。そのため、結婚、出産、子育てによる家族の形成はmustとなり、自然と保守的な価値観との親和性が高くなる。子育て中は貧しく家計が苦しくても、子供が働きだせば苦しかった分を回収できる。
⑧よく地方が保守的なのは、『市場規模が小さい田舎だから』、みたいな説明がなされるが、これじゃほとんどトートロジーで十分な説明になってない。地方が保守的なのは、豊さを得る方法が首都圏とは丸きり違うからだ。地方では家族の形成と子供の就業年齢の到達が、豊さ獲得の方法となる。
⑨これだと、子供をたくさん産み育てれば得だから過疎化し無い・・・とはならない。就業年齢に達した個人の目線で考えると、以下の不等式が成立すると、首都圏で就業することが合理的になる。
健全な市場競争の中で得られる利益 > “地方持ち家無敵一家”化で得られる利益
この不等式の右辺について考える。“地方持ち家無敵一家”になるまでの苦労は、育てる子供の人数が多ければそれに比例して大きくなる。この苦労について甘受できる限界(以下この限界を“育児限界”と呼ぶ)となる子供の数が平均して2人を下回れば、例え全員その地に残っても、どうやったって人口は減少する。2人を上回ったとしても、健全な市場競争の中で十分戦える能力を有し、無敵一家化で得られる利益以上を稼げる者は、わざわざその地域に残らない。故に過疎化が進む。それも優秀な者から抜けていくため、数的な意味だけでなく質的な意味で過疎化が進む。
⑩次に式の左辺を考える。現在若者にとって健全な市場競争の中で理想とする収入を得る(結婚、出産、子育て、マイホームetcが実現できる)ことは、平成の失われた30年を経て無理ゲー化しており、左辺の値は小さなものとなっている。そもそも左辺の事項は地方自治体の努力でどうこうできるものでもない。ならば、“育児限界”が平均2人を超えるよう、あらゆる資源を投入し、子育ての苦労を取り除きたいところだが、そうもいかない。
⑪GoogleMAPなんかで見ると、規模の小さい自治体でも、図書館、総合体育館、イベントホール、多目的グランド、といった文化・芸術・スポーツ施設を持ってたりする。人口規模から言って分不相応なのが明らかで、財政を圧迫してるなんてことも珍しくない。それでも、なんとか維持しようとする謎の力学が働くため、残り続ける。この謎の力学の正体は、“ミニ東京化の呪い”だ。これは「地方の市民も東京の市民と等しく文化・芸術・スポーツに接する機会がなければならない」とする価値観で、文化・芸術・スポーツ活動への抑制作用に対し、強力な反作用を及ぼす。さらに文化・芸術・スポーツ施設には、それぞれに“野良委員会”が紐付いているため、抑制作用への反作用は苛烈を極めることになる。分散した資源を一点に集中して投下するといったことが地方でも原理的に難しいのだ。
⑫地方は「自治体&外郭団体コンビ」だけでなく地元企業も実家通いありきの賃金になってたりする。そのため折角地域に大学があっても、地域外から来た学生は卒業後もその地域に留まろうとしない。もちろん、外からわざわざ来ようともしない。じゃあ、嘱託職員の給与を1人暮らしでもやっていけるくらいに上げれば、地元企業も給与を上げざるを得ない・・・とはならず、地元企業は給与を上げるだけの体力が無いので人が雇えず潰れてしまう。このような点でも地方の過疎化は人数の問題だけでなく質の面で進むことになる。
⑬付加価値が、高い知性に依存して産み出されるものならば、過疎の質的な進行は付加価値の枯渇を意味する。付加価値が枯渇すると、資本は利潤を産み出す行き場を失い、市場は機能不全に陥る。この機能不全への適応として生まれたのが、“地方持ち家無敵一家”なのだと思う。これは日本全体で産み出す付加価値が枯渇すれば、いずれ首都圏でも地方と同様な保守化が起こることを意味する。
この章のまとめ
地方で起業するなら“地方持ち家無敵一家”になることは、目的・ゴールと言っていい。これまで紹介した“野良委員”や“地方零細御用業者”といったものは、このゴールにたどり着くための手段にすぎず、このゴールにたどり着く別の手段を持っているなら、スルーしてもかまわない。ただ、“野良委員”や“地方零細御用業者”といったものは、子が引き継ぐことが可能なうえ、相続税を取られる心配のない資産だ。地方社会の硬直性の原因でもあるが、見方をかえれば価値が目減りしずらい安定な資産といえる。首都圏の際限ない能力競争以外にも、この様な人生戦略があることを知っておいて損はないと思う。
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