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地方へ移住して起業とかするつもりなら知っておくといい概念:その6

「ちゃんとロック状態」

①「ちゃんとしろ」という言葉は発し手にも受け手にも注意を要する言葉だ。ある人はこれを「無駄遣いするな」の意味とし、ある人は「期限に間に合うように」の意味に、ある人は「あらゆる面で問題が起きないように」の意味となる。最後の「あらゆる面で問題が起きないように」に至っては抽象度が高いため、たとえ受け手が意図を察知できても、脳内で「スケジュール表通りに執り行う」とか「執行金額が予算をオーバーしないように行う」といった具体的な質問に勝手に変換して解釈するほかない。そうなると個々人の主観で意味が変わってしまい、指示として発したのなら意味がなく、指示として受けたのなら価値がないものになる。かつて「ちゃんとしろ」を多用する上司に対し、「この人は自分の指示をまともに言語化できないのか」と心の中で小馬鹿にしていた。しかし、いざ自分がバイト・パート職員の管理をする立場になると、「これほど便利な言葉はない」と手放せないものになる(かつて小馬鹿にしていた上司の皆様ごめんなさい)。

②民間だと、優秀と言われる人は「ちゃんとしろ」的な言葉をほとんど使わない印象がある。民間の組織はトップダウンで指示が降りてくる。そのため意図や目的の起点は上層部にあり、それを下に伝える際には具体的かつ明確に伝えないと意図や目的の共有ができない。「ふんわり」とした指示で部下が個々別々に好き勝手解釈して動いたのでは組織として任務を遂行できないのだ。民間の組織なら「ちゃんとしろ」的な言葉がどれくらい飛び交っているかをカウントするだけで、その職場のブラック度や上司の無能度が定量化できるのではと思う。これとは逆に公的機関で優秀と言われる人は「ちゃんとしろ」的な言葉を多用する印象がある。“専門性の外部化”と“無謬の目的化”の影響により、一部の意図や目的の起点を“野良委員会”が保有してしまっており、公的機関ではトップダウンのほかにボトムアップの指示ラインが多く存在している。ボトムアップだと上司よりも“野良委員会”と直接折衝するボトム(下っ端職員)の方が先に意図や目的を保有しているため、「あの件はどうなっているのか?大丈夫なのか?」という確認の意味を含む「ちゃんとしろ」的な言葉を多用することになる。

③市民が自治体や地方議会に対し発する「ちゃんとしろ」は、「税金を無駄遣いするな」とか「もっと早く実施しろ」とか「きめ細やかな行政サービスをしろ」といった「個々の市民が具体的に抱く意味が集合したもの」だ。ただ、この具体的な意味の中には「きめ細やかな行政サービスの実現には、お金がかかる」vs「お金を節約すると、きめ細やかな行政サービスが実現できない」といったトレードオフの関係のものが多く存在する。このトレードオフの関係となる個々の意味は自治体内の組織や役職のそれぞれの役割に投影され、「適正手続きを重視する役割」、「お金を重視する役割」、「現場を重視する役割」、「議会・市民の声を重視する役割」、「地域経済を重視する役割」などの間で対立を生む。この対立は、ほとんどの場合互いに話し合いを重ねる中で解消されていき、バランスが取れたものとして実施に至る。しかし、話し合いで対立を解消できなかった場合、それぞれが掲げる「ちゃんとする」の意味が異なることから、全体が膠着状態に陥ることがある。この状態を以下 “ちゃんとロック状態” と呼ぶ。民間なんかだと“ちゃんとロック状態”が発生しても、トップがトップダウンで解消点を指し示せば、すぐに解消するが、公的機関なんかだとボトムアップの指示ラインが存在するため、ボトムアップの指示ラインで生じた“ちゃんとロック状態”はトップを始め誰も手が出せない状態に陥ることがある。日本で国の借金が増え続けるのも、年金問題が放置され続けるのも、この“ちゃんとロック状態”が生じてしまい、誰も手を付けられないからだと推察する。

④行政課題で生じる“ちゃんとロック状態”はこれまで“問題の先送り”として、主に政治の責任として語られてきた。責任の問題ということは、「政治が自由な意思をもって自ら決断できる」との前提が存在するはず。しかし実態は「自由な意思」なるものを政治はほとんど持っていない。立場によって意味が異なり、さらにその意味も相互に矛盾をはらむ「ちゃんとする」なるものに意思を縛られ、身動きが取れない。つまり“ちゃんとロック状態”になっている。だから決断ができず“問題の先送り”が起きる。この“ちゃんとロック状態”を生み出すものは、「いかなる不備・不全・不足も甘受しない態度(≒ちゃんとしろ!)」の、“ゼロリスク志向”で、実現不可能な理想(リスクゼロ)を「実現しろ!」と迫る、いささかブラックな市民の要求だといえる。政治家が無責任に見えるのは、もしかしたら責任の所在がそもそも存在しないからかもしれない。“ちゃんとロック状態”が日本の停滞の主因ならば、今の日本に必要なのは、国民の声に耳を傾ける徳の高い政治家ではなく、期限付きの独裁者だ。

⑤行政で生じる“ちゃんとロック状態”の雰囲気は以下のようになる。
農業が盛んなある地方都市の甲市で、毎年、東南アジアにある乙国の丙市から農業技術を学ぶ留学生を受け入れ、6か月程度の農業技術指導を行っていた。そして6か月間の技術指導が終わって留学生を送り出す際に、送迎会を兼ねた国際交流祭を甲市を挙げて行っていたとする。この国際交流祭は市が抱える唯一の国際事業で、これが始まって20年の節目の年に、技術指導に関わっている有力な野良委員のAから次のような提案が甲市の担当者へあった。
「20年の節目に、甲市の農産物や加工品を海外にPRして、市を挙げて販路の拡大を図ってもらいたい。そこで、乙国の丙市に、甲市の農産物や加工品を販売するサテライトストアをオープンして、農産品などのPRを図るとともに、丙市との交流拠点として1年間運営したい。サテライトストアの場所の確保や内装の施工などの『箱』については丙市が負担し、甲市側はストアの運営を担当する、ということで丙市の関係者と話をしている。」
・・・といった内容。Aから話を振られた担当者のBは、下っ端職員なので当然決定権はないが、Aが有力な野良委員である以上、この提案を突っぱねることもできない。仕方ないので、
「上司に掛け合ってみます」
と言い、その場を後にする。後日Bは上司のCにこの件を報告する。
Aはこの交流事業が始まる20年も前から、農業技術指導員として丙市に赴き、丙市、ひいては乙国の農業の発展に尽力した。この業績により両国から表彰を受けているような人物。野良委員としても甲市の農業界に絶大な影響力を有し、丙市関係者にも太いパイプを持つため、留学事業や国際交流祭はA抜きでは実施できない。仮にこの提案を突っぱねてAの機嫌を損ねた場合、留学生の指導ができる関係者が皆、Aに気兼ねして指導の依頼を受けてくれない可能性がある。そうなると“専門性の外部化”により、役所には農業指導ができる職員がいないため、留学生の受け入れができなくなる。さらに受け入れができないとなると留学生の受け入れを前提とした国際交流祭も実施できなくなり、市の唯一の国際事業がまるごと消滅することになる。上司のCとしては、“無謬の目的化”の作用により事実上「Aの提案を受け入れる」の一択となる。
ストアの運営を甲市の職員が丙市に直接赴いて行うわけにもいかないため、乙国内にデパートを展開している国内の大手百貨店に業務委託する方向で話が進む。運営計画の立案のため、Bは丙市へ視察に向かう。この視察により以下のようなことが判明する。
・出店場所は丙市の有名観光地の近くで、周りに外国人観光客を相手とする土産物店が多く立ち並ぶ地域だった。
・出品予定の商品の価格が、現地の同様な商品の価格帯と比べ平均で4倍、最も大きいもので10倍ほど高いことが判明した。
Bは帰国後すぐこのことをCに報告する。報告を受けてCが考えた懸念事項は以下の通り。
『日本の販売価格と同じ価格で販売すると大量に売れ残る可能性がある』
『販売価格を現地において妥当な価格にしても、顧客が外国人観光客ばかりであることから、わざわざ日本の物産品を買わないのではないか』
民間企業なら、これらの懸念事項だけでも「事業計画を白紙にする」の一択だが、有力な野良委員が発案の行政事業の場合はそうはいかない。仕方なく、ストア運営で生じる赤字を市側が負担する形で販売価格を現地の適正価格に合わせ販売する方向で調整に入る。「農産品のPR」と「丙市との交流拠点としての運営」が主目的であることから、ある程度の赤字は容認できるとの判断だった。この方向で話がまとまりそうなとき、1つの懸念事項がほかならぬAから指摘される。それは以下の通り。
「出店場所が観光地であることから、日本人観光客も訪れる可能性がある。日本人が国内販売価格より大幅に安いこれらの商品を見つけたら、中には大量購入して日本に持ち帰り、個人販売サイトで転売する者が出て来るのではないか?そうなると通常の販売経路の商品の売り上げに影響が出るのではないか?」
十分あり得る話だが、正規流通商品の利益を大きく毀損することはないだろう・・・とBもCも思った。ただ、マスコミや野党議員が嗅ぎつけて騒ぎになる可能性も捨てきれない。仕方なく、確実に赤字額が増えてしまうが、商品の販売価格を国内価格と同じにして販売することになる。

⑥この例では、販売価格が国内の価格と同程度になったため、商品がまったく売れない可能性が高い。つまり主目的であるはずの「農産品のPR」がどっかにすっ飛んでしまっている。担当者のBは自分がバカになったようで、情けなくなるかもしれない。強力なボトムアップの指示ラインが存在すると、まれにこの様な意味不明なことが起きる。ここでも「農産品をちゃんとPRしろ」、「税金をちゃんと使え」、「今後も国際交流事業をちゃんと実施しろ」、「国内の農産品販売に迷惑をかけず、ちゃんと販売しろ」といった様々な「ちゃんと」が絡んで、“ちゃんとロック状態”が生じており、車で言うならハンドルとブレーキが利かない状態で、真っ当な方向へ向かわなくなっている。この様な状態を的確に表すことわざがある。それは「船頭多くして船山に上る」だ。首長なんかがワンマンなタイプだと、この様な事業を計画の段階でバンバンつぶしていくことがある。そんなことをすると、Aのような強力な野良委員の子分議員や行政職員の主流派幹部なんかが、様々な圧力やいやがらせを仕掛けてきたり、前述の例でいうところの国際交流祭が突然実施されなくなったりといった場外乱闘が起こり始める。見方を変えるとこの様な場外乱闘が起きて、市政が何かと騒がしいのは首長が“ちゃんと”仕事をしている証みたいなもので、むしろ市政が「静かで、全てがいつも通り」な方が本質的にはおかしいといえる。

“専門性の外部化”の影響により政策を行政や議会が単独でゼロから立案するのが難しい状況が生じやすい。政策をゼロから単独で立案することが困難な場合、“野良委員会”の様な外部専門家集団に相談をするというのは避けて通れない。一方で高齢化社会の到来した日本において、高齢者に有利な政策ばかりとなるシルバー民主主義が問題となっている。シルバー民主主義が生じる主たる要因は、有権者に占める高齢者の割合が高くなっていることで、高齢者優遇政策を掲げる政党や議員が当選しやすくなるためだが、さらにこれに補足するならば、政策立案に関与する“野良委員会”の構成員が高齢で、立案される具体的な政策も自然と高齢者寄りになってしまうことも抑えるべき事項だろう。

この章のまとめ
もし野良委員になれた場合、“ちゃんとロック状態”を作ることも場合によっては可能だ。
たとえば、市内体育施設の利用料金を一律2倍にする案が行政で検討されていたとしよう。一方で、ある野良委員Dがこの案をなんとか阻止したいと考えていたとする。市は値上げの1年前に市内体育施設の運営団体へこの件を通達して値上げに向けた準備をしてもらい、値上げの半年前に市民に向けて公表する。・・・という流れで調整に入っている。
体育施設の利用券には利用の都度購入する1回券タイプと、10回分の利用料金で11回分の利用券が綴られている回数券タイプ、それとこの回数券タイプが10枚・計110回分が綴じられている冊券タイプの3種類があるとする。Dはこの回数券・冊券には使用期限が明示されていないことを把握しており、この値上げに関する市の担当者Eはこのことを把握していない。市の担当者と言えども、プライベートのトレーニングは民間のジムを利用するのがほとんどで、仕事以外では市内体育施設に訪れることはない・・・なんて人がほとんど。なんやかんや言って上級国民なので、プライベートは優雅に過ごすのだ。なので担当施設の利用者目線が欠けがちで、このような実務面の細かい運用ルールがスッポリ抜け落ちることは珍しくない。この情報量の差は野良委員が敵に回った際、厄介な弱点として現れる。Dは市の担当者のEに以下のような指摘をする。
「市民への発表から値上げまで半年もの期間がある。そうなると、この半年間に『期限の定めのない』お得な回数券や冊券を購入しようと市民が殺到する。それに対応するための人件費や券の印刷費の予算は確保しているのか?それに、値上げ後の1回券との価格差が大きいから、大量購入した者が金券替わりに個人販売サイトで売って儲けたり、チンピラのマネーロンダリングに使われた場合、どう対応するか考えているのか?」
最後のマネーロンダリングはともかく、他は十分検討に値する指摘だ。もしこの指摘を丸ごと無視して値上げを実施し、Dの懸念が現実化したら、“野良委員会”からどんな吊し上げを喰らうかわからない。ただ、この懸念を回避するための方法の検討とその後の各種調整には、下手したら1ヶ月以上かかるかもしれない。この指摘だけで担当者Eにはかなり面倒な状況か生じる。
Dとしても、この程度の指摘で値上げの方針が覆るとは思っていない。あくまでこれは時間稼ぎが目的で、稼いだ時間で“野良委員会”を通じた値上げ反対派勢力の拡大を図るのが真の狙い。反対派勢力が無視できないくらい大きくなれば、“ちゃんとロック状態”を生み出すことができ、値上げを阻める状況に持ち込めるチャンスも生まれる。以前書いた記事に、野良委員は『実務を把握した』、『実力がある』、『その分野の功労者』が成りやすいと書いた。この中で『実務を把握した』は、いわば野良委員の武器みたいなもので、敵に回すと実務を絡めた攻撃をしてくる。ただ実務がわかっていても、それを自在に操れなければ怖くないため、それを自在に操る『実力がある』ことも必要。さらに『その分野の功労者』なら、政治を動かす上で必要な人集めもできる。行政を攻撃する野良委員を、「ただひたすら反対をやかましくがなり立てる地の強いオッサン」とイメージするかもしれない。確かにそんな引き出しも持ってはいるが、実務上の不備を突くといった、地味でスマートな手法を取ることが多い。
公務員という生き物は、担当になったからと言って担当施設や担当事業に必ずしも愛着を持つ訳ではない(でも責任感はしっかり持つ)。そのため、案外あっけなく担当者との情報量に差を付けることができる。地方で起業するなら、“ちゃんとロック状態”が努力次第で生み出せるようになれることを知っておいて損はない。

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