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名前も知らない、君へ。16

 あれよあれよと時は過ぎ、季節は寒さの厳しい冬になった。
 相変らず昼休みは一緒に過ごし、放課後は音楽室の開いている日はそこで演奏を、そして吹奏楽部が使っている日は遊びに出かけていた。この日常がすっかり染みついていた。
 この頃になると、彼を引き入れたいと奔走していた部活連中は諦めモードになっていた。
 期末テストの一週間前は音楽室の使用が禁止されたので、二人で勉強する事もあった。
 最初は適当にどこか人気の少ない階段の踊り場で時間を潰してから僕かトトの教室で勉強してたけど、その内クラスに女子達がわらわらと集まってくるようになってしまったので、家の最寄り駅の近くの図書館で勉強するようになった。
 でも、勉強をした割にテストは僕もトトも惨敗だった。
 僕はさておきトトは多分、問題が全部ひらがなだったらもう少し良い点数が取れていたかもしれない(ひらがなは読み書きできるから)。
 そうして冬休みに入る直前までは、音楽室が使える日はほぼ必ず、二人で飽きもせず演奏した。
 でも寒さが厳しくなるにつれて、冷え性の僕の手はかじかむようになり、思うようにピアノが弾けなくなっていった。
  トトもそれは同じらしい。
 だから音楽室に行く前に学食前の自販機で僕は温かいカフェラテを、トトはコーヒーを買って、手を温めながら向かう。そんな日々が続いた。
 演奏する人達にとっては辛い季節だったけど、それでも楽しくやっていた。

「ね! 今日の放課後も二人の演奏見てて良い?」
「……ダイジョーブ」

 そして、トトと僕の演奏を聞きたいという人達が多くなってきた。
 勿論目当てはトトだろうけど、最近は僕の事も数に入れてくれるようになったので、まあ良い方向に進んでいるんだろう。そう思う。
 彼も以前と違って舌打ちなんてしなくなったし、何より嬉しいのが、僕らの演奏を見に来る人達が静かに聴いてくれるようになった事だ。
 最初に来た女子達は、あまりにも五月蝿過ぎたから。

「じゃあ今日、音楽室行くね!」

 僕らにそう言って、一人の女子が廊下の向こうに消えていった。多分同学年の子だ。
 さっき許可を貰いにきたのは一人だったけど、きっと放課後になればもっと沢山の人が来るようになるのだろう。

  ◇
「そういえば、二人で何かコンクールに出ようとか、そういう計画はないの?」

 放課後。
 さっきの予想とは打って変わって、今日は珍しく見に来る人が少なくて、演奏が終った後に音楽室に残っていたのは僕とトトを除いて二人だった。
 どちらも同じクラスの人ではないけれど、音楽室で練習する日はほぼ毎回来る人達だ。

「コンクール?」

 僕はキョトンとして、鸚鵡返しにそう返す。

「そう! だって二人とも、とっても上手なんだし! 文化祭も出て欲しかったのに二人とも嫌がるしさ」
「あー、そう言えばそうだったかも……」

 この学校にも一応文化祭という一大イベントがあったんだけど、僕は出し物の準備を手伝うまではやって、当日はサボったのだ。
 というか、トトが文化祭の日は学校を休むとか言い出すから、僕もお供する事になった。
 それに、どうせうちの学校は他校とは違って、飲食店が出来るのは三年生だけというルールがあったので、一年生である僕らは適当に劇を撮影して上映するという出し物だけだったし、僕は舞台道具を揃えればそれで役目を終えられるという事もあって、当日いなくても全く支障がなかったのもある。

「もう、出て欲しかったのになあ!」

 もう一人の女子が悔しそうにそう言った。
 彼女のクラスは全校生徒対抗の演奏大会(カラオケもOK)をグランドの一角を貸し切って開催していたらしい。
 普段は日の目を見ない軽音部や、帰宅部だけど歌に自信がある生徒なんかが出場していたらいし。
 そこに僕とトトも出ないかと誘われていたのだけど、トトが嫌がったので辞退したのだった。
 まあ彼の事だから、皆の前で演奏したくなかったんだろうけれど。

「ごめんね、僕も人前で演奏するとなるとすごく緊張してしまうからさ」
「それならさ、学外のコンクールにエントリーするつもりもないの? 規模は小さいけど開催している所も結構あるよ?」
「へえ、そうなんだ」

 僕が少し興味を持ったような反応を見せてしまったから、彼女らはスマホを取り出して検索をかけ始めた。
 そういえば、コンクールなんてものもあったな。
 今は二人でいつもの音楽室で楽しく演奏出来れば、それで充分満足なんだけどな。

「あ……あった! これとかどう? 学校の近くのホールで来月あるんだって!」
「本当だ! しかも参加人数二人からだって! まだ募集もしてるみたいだし!」

 僕とトトの意見は聞かずに早速ケータイで検索して盛り上がり始める二人。

「どうする? エントリーしちゃう?」

 彼女達が少し上ずった声で僕に問う。
 最近、彼が僕を通してでないと会話出来ないという変な噂が出回っている所為で、一々僕が会話に入らないといけなくなったのだ。

「ええと……どうしようかな」

 僕はトトに赦しを乞うような目線を投げかけた。
 彼は少し困った顔をして僕の方を見つめ返してきた。
 この顔は……出たいけど、お前はどうだって顔だ。
 一応話せないという設定になっているので、うかつに彼女等の前で日本語は話せないのだ。
 しかし僕がどう話を切り出そうかと迷っていると、ケータイの画面と睨めっこしていた女子が声をあげた。

「あ……ごめん! これ、参加条件に入賞経験のない人って書いてある!」

 それを聞いた僕はハッとして彼を見た。
 そうだ、トトは海外でとはいえ、数々のコンクールで入賞するくらいの実力の持ち主だ。
 僕はともかく、彼は多分腕前でバレてしまう。

「アッカルド君って向こうでも有名なバイオリニストだって言ってたもんね」
「初心者向けのコンクールだったんだコレ……」

 彼女らはフォローのような、そうでないような微妙な解釈をして、別のコンクールを探し始めた。

「悪いんだけど、今はコンクールとか、そういうの考えてないんだ。二人で演奏出来たらそれで楽しいし」


 折角探してくれていたのに、ごめんなさい。
 僕は彼女達に謝った。
 彼もアリガトーとポソポソ言って、自分のバイオリンの片付けを再開した。
 その顔が少し悲し気に見えた気がして、少し気まずい空気が流れ始める。

「そっか。ごめんね、勝手に言い出したりして」
「ううん、全然気にしてないよ……ね」

 僕は無理にトトに話を振った。

「ウン」

 彼はぎこちない仕草で頷いた。

「じゃ、じゃあ私達、そろそろ帰るね!」
「今日も聞かせてくれてありがと!」

 気まずい空気になった事を感じ取った彼女らは、コートとマフラーを手早く身に付けると、そそくさと鞄を持って音楽室を出て行った。
 

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