こだわるもの=好きなものではない

本当に好きなものに対しては、寛容さが生まれる気がします。



食べ物にしろ趣味にしろ、「これじゃないと嫌」とこだわりのあるものってありますよね。

僕はどうもこだわりが強いほうみたいで、色々なものにこれじゃなきゃ嫌っていうこだわりがあります。

「コンビニスイーツのたいやきはファミマじゃないと嫌」

「たけのこの里を選ぶ人の気持ちがわからない」

など、どうでも良い点で譲れないポイントが自分の中にはあります。


20歳を超えてからは、ビールやコーヒーのこだわりは特に強く、ビールはサッポロかレーベンブロイが好きだし、コーヒーは酸味が強いブラックが好みです。

しかし、こういう話をすると大抵友達からこう言われます。

「がっくすって本当にビールとかコーヒー好きだよね」

これに対して僕は否定をしておきたいことがあります。

僕は飲み物の中で取り分けビールやコーヒーが好きなわけではありません。

生涯で水以外に何も飲めなくなるよと言われたら、間違いなく僕はスプライトを選択します。

ビールとコーヒーが明日から飲めなくなってもそこまで困りません。


僕は考えるのですが、食べ物に関しては特に好きなものほどこだわりって少なくなっていきませんか?

例えば、僕はハンバーグが好きですが、レストランで食べる1個3,000円のハンバーグとびっくりドンキーのハンバーグどちらも大好きです。

何ならハンバーガーのハンバーグでも幸せになれます。


対して、コーヒーチェーン店の作り置きのアイスコーヒーを飲んで幸せに離れません。

あまり好きではないプレモルを飲むときも、黒ラベルがよかったなと思ってしまいます。


あまのじゃくと言われてしまえばそこまでですが、僕は本当に好きなものに対しては、全て丸ごと好きになれる愛情が含まれているのではないかと考えます。

もちろん、もっといいものをと考えてしまうとは思いますが、仮に最高のものでなくても好きになれるというのが、大好きということなのかなと思うのです。


とりとめのない内容でしたが、結論としては、僕がうんちくを語ったり、強いこだわりをもって話しているものは、大抵大好きなものではないため、「あー、またあまのじゃく発動してるよ」と、軽く受け流してもらえると幸いです。

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