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「頑張りたいけど頑張れない」の消化の仕方


頑張る自分が好きだった。

自分で掲げた目標に向かって、
やるべきことは取りこぼさずにやり、
努力を惜しまず、全力を出し尽くす。

周りの誰よりも時間を捧げ、
怠けずサボらずコツコツとやり、
頑張り屋さんという評判をものにする。

頑張れている時の高揚感は、自分をゾクゾクと心地よくさせる。

自己を疑うことなく肯定できる状態は、安心をもたらしてくれる。

やり切った後の達成感と開放感は、空を飛んでいるかのような爽快さがある。

あれを原動力に、人生をやってきた。
私にとっての麻薬だった。
あれがないと、人生をやってこれなかった。


でもある時から、私は頑張れなくなった。



頑張れないのはしんどい。

自分は存在している価値がない、
この世に居場所がない、
生きていてはいけない、
そういった気持ちに押し潰されそうになる。


だから、いつか頑張ろう、そのうち頑張れるはず、
と自分に言い聞かせることで、
頑張れない現実から目を背けていた。

頑張れない自分を受け入れたくなくて、
こんな自分は自分じゃないと、
自己の存在を否定し続けた。

そうしているうちに、わたしは精神を病んだ。
それはもうぼろぼろに病んだ。

人間の見た目をせずに街を歩いた。
人生からおろしてくれと叫び続けた。

そんな状態になってしまってから、
私はもう頑張れないんだな、と悟った。


なので、頑張るのを諦めることにした。


頑張るのを諦めて、健やかを目指した。
自分に合ったペースで、ゆっくり目指した。

そうして過ごしていたら、生活に余白ができた。


生活に余白ができたら、
自分のほんとうの声に気付けるようになった。

これからやりたいこと、
サボりたいこと、
ほんとうは大切にしたいこと。

自分の声を聞いて暮らしてみた。

自分がやりたいことをやって、
やりたくないことはサボった。

そうしたら、そんな暮らしと人生を、
ちょっと好きになれたりした。


ぎゅうぎゅう詰めに生きていかなくちゃ
いけない気がしていた。

けれど、こんな風に、ふわりと軽やかに
生きたっていいんじゃないかと思えた。


頑張りたいのに頑張れないともがいていたけれど、
頑張る方向を変えればいいだけかもしれない。

がむしゃらに本気を出すのではなくて、
余白を持って過ごすことを、工夫して目指していく。

そうすることで、
自分がほんとうに大切にしたいことを
大切にしながら生きていく。

余白を持てるように頑張っていれば、
仕事も生活もうまく回るのかもしれない。

そんな感覚を、最近は抱いている。

頑張ることで許されたかったけれど、
私を許してくれないのは、そもそも私だけだった。


埋め尽くすのではなく、ゆとりを先に持ち込んでおく。

重たく背負い込むのではなく、軽やかに抱きしめる。

意味の無い時間も、朗らかに楽しんでいく。

これは私が、余白を持って生きようと思ったお話。


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