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私が適応障害になったワケ

私は昔からメンタルが弱い。
なので、まさか自分が〜!?というよりは、はいはい、人生で一度くらい通るかもという覚悟はありましたよ、という感想ではあるのだが、覚悟していただけでは避けられなかったので (悔しい)、今後の対策も添えて表題の件について記す。


1. 適応障害の定義と原因

厚生労働省によると、適応障害とは以下だ。

日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態をいいます。ストレスの原因が明確であることが定義上重要となります。

症状はゆううつな気分、不安感、頭痛、不眠など、人によって様々ですが、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらは一般的には正常な人にも現れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

要は、環境変化や出来事に適応しきれず、心身がパンクしてしまった状態のことらしい。私の場合の「明確なストレス原因」は仕事上の人間関係 であるが、それ以外にもストレス、つまり無理の蓄積に繋がっていたであろう出来事が振り返ると多いため、それらの総量に耐えきれなくなって潰れてしまったんだろうと自己解釈している。

2. 私に溜まっていった無理たち

思えば、昨年はたくさんの変化があった。もともと環境変化に対応するのが苦手な私は、わたわたと、あわあわと、さまざまな無理を抱えてしまったのだと思う。渦中にいる時はハイなので無理ということに気付けなかったが、一通り終えて安心すると体調を崩すという私のあるあるが遺憾無く発揮された。

これから記すことたちは、今回はたまたま私の無理に繋がってしまっていたというだけで、決してそれぞれの出来事が私の人生にとってネガティブだったわけではない(むしろポジティブなものが多い)。また、万人に当てはまるわけでもないだろう。人には人の乳酸菌。

● 無理1 : 仕事の環境変化
3月に、新卒から3年勤めたド田舎のオフィスから、都内へ異動になり、上司も変わった (この上司との相性の悪さが直接的な原因)。仕事内容は変わらなかったものの、4年目になり業務量はだいぶ増えた。上期はよく、夕食後の時間を仕事に充てていたし、終業後も週末も常に仕事のことが頭にあった。業務中に私の愚痴を聞いてくれていた心優しきおじさん達と離れ離れになったこと、新しいオフィスが何だかグレーで閉鎖的でリフレッシュしにくかったことも負荷になっていたと思う。

● 無理2 : 都内への引越し
会社での異動に伴い、都内へ引っ越した。学生時代まで首都圏で生活していたため、土地に対する不安や不満はなかったものの、やはり引越しは大変。物件を決め、諸々の手続きを進め、荷造りと荷解きをやっつけるという作業は、体力のない私をヘタらせるのに十分だった。新しい街は、夜になっても明るく、人間や犬が歩いていて好きだ。田舎から越してきたのでQOLは格段に上がったが、生活の中での情報量は増え、その処理に脳みそを使わざるを得なかった面もありそうだ。

●無理3 : 彼氏ができた
6月に彼氏ができた。7年間独り身だった私の凪な生活にとっては大打撃である (何度も言うが、決してネガティブな意味合いではなく、単にパワーが大きかったということである)。久しぶりの恋愛感情は私にとっては疲労に繋がるものでもあり、ひとりの時間が減ったことはそれを十分に回復できないことを意味していた (その分、付き合い始めはめちゃくちゃ楽しかった!) 。ちなみに出会いはマッチングアプリ。数多の男性とコミュニケーションを取るのは自ら始めたとはいえ、しんどみだった。

●無理4 : 推しの解散
6月29日、推しが解散した。解散までにたくさんライブをやってくれたので、推しは推せる時に推せということわざに倣い、参戦できる限りの参戦を尽くした。ライブに体力が持っていかれることもあったし、感情をたくさん使ったことですり減ったものもあったのだろう。悲しくなったり寂しくなったりもしたが、それ以上の可愛いと大好きとハッピーと願いと愛がそこにはあったので、このせいで体調を崩したのならば本望と言っても過言ではない!!We were BiSH!!!

●無理5 : 結婚式ラッシュ
超ラッシュだった。ご祝儀でひと月分のお給料が飛んだ。とても幸せな気持ちになれるイベントだけれど、感受性が豊かな私にとって、ああいった泣かせ系のやつは堪える。慣れない服と靴を身につけ、慣れない食事をする時間も、私にとってはちょっと疲れが溜まるものだった。でも、たくさん参列したことで、もしも自分が式を挙げるならのプランはだいぶ固まったし (気が早い)、毎回幸せだったからそれでオッケーです!

●無理6 : お金の心配
引越しにより家賃は増 (前の家より狭いのに!)。また、田んぼでの生活から一変、ここ東京にはふらっと立ち寄りたくなる雑貨屋さん、カラオケに美術館に映画館に、何でもある、娯楽費も増。彼ができたこと、友人の多い土地に戻ってきたことにより交際費も前比大幅増。ご祝儀は前述の通りで、推しの解散ライブは10万円のチケットを買った。さらに、私は歯列矯正中なのだが、これが厄介だった。前の歯医者に支払った満額は戻らないのに、新しい歯医者にもほぼ満額を請求されるという理不尽システム。幸い、前の歯医者に一部返金してもらえたのと、良心的な歯医者に巡り会えたので損失は最小に抑えられたが、それでも大きなマイナス。お金の不安はメンタルに直結する。地盤が揺らいでいる感覚が常にあった

🪿🪿🪿

以上が、私に溜まっていった無理の内訳である。
振り返ってみても、これまでの人生史の中でもっとも波瀾万丈な年だったと思う。
占い師から「あなた、2023年は試練の年です」と言われてはいたので納得の結果ではあるが。


3. 無理が溜まりやすい私の構造

とはいえ、それくらいの試練、難なくこなしている人間だってたくさんいる。むしろ人間生きてりゃ色んなことがあるもんなので、これくらい普通じゃないか、私の心と体が弱っちすぎるんじゃないか、根性が足りないんじゃないか、と思っていた。

そんなとき出会ったこの本に、ストレスや無理の扱い方、この世界を生き抜く術についての新たな捉え方を教えてもらった。


著者によると、ムリが溜まりやすい人には、
①「子供の心の強さ」しかない
② 短期目標で乗り切る癖がある
という二つの特徴があるらしい。

一つ目の「子供の心の強さ」しかない、については以下の通りだ。

子供時代は、大人になって社会で生活する準備段階として「鍛える」ことが必要だ。その時に必要な心の強さは、「我慢する」、「あきらめない」、「全部やる」、「 1人でやる」、「完全にやる」である。自分に対する評価は厳しくあることを求められ、簡単に今の自分に満足してはならない。これらが「子供の心の強さ」の中核をなしている。このような態度が大人をはじめ周囲から賞賛された。そして、子供の心の強さは、子供時代、実際に成功に結びつきやすかった。というのも、子供時代は毎年自分自身の体力・知力が成長する。我慢して努力していれば、だんだんできてくるようになる。

大人の社会でムリを溜めやすいのは、子供の心の強さが強すぎる人たちだ。頑張っている自分が好きで、子供時代の栄光を引きずっている。元気な時なら、まだそれもいいだろう。しかし、だれでも歳を取るに従い、回復力は低下し、日々の疲れを、一晩では解消できなくなってくる。疲労・回復の収支が悪化しているのに、以前の自分イメージ(頑張ればやれる自分)から抜け出せず、どうしても過剰活動を止められない。「子供の心の強さ」が強すぎる人は、大人社会でどうしても、ムリが溜まりやすくなるのだ。

『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)』下園 壮太  著

「頑張っている自分が好きで、子供時代の栄光を引きずっている」の部分に、はーい!私でーす!!と元気よく手を挙げたい気持ちになった。

私は、人一倍の努力をコツコツと積むことで成果をあげられることを自分のアイデンティティの一つとしていたし、実際に受験、部活、就活などはその力で目標を達成してきた。

でもそれって、大人の社会では通用しないらしい。初耳、目から鱗、棚からピーマンだった。彼に言わせれば、「心に合わせるんじゃなくて、体に合わせる」ってことらしい。ふむふむ。

🫑🫑🫑

二つ目の「短期目標で乗り切る癖がある」については以下だ。

ムリを重ねがちな人は、この短期目標を連続させて、走り続ける人が多いようだ。言い換えれば、3000 mを走るのに、最初の 100 mを全力で走り、次の 100 mも同じように短距離のスピードで走る。もちろん 3000 m走なのでその間に休憩はない。それを 30回続けようとしているのだ。ムリが溜まりやすくなるのも当然だ。この比喩では、「そんなバカなことは誰もしない」と思うかもしれないが、実際には、多くの人が短期目標に突き動かされる人生を送っている。それは、短期目標が持つ魅力が大きいからだ。

短期目標は、やる気を瞬発的に出すことができる。やる気が出ているとき、我々は快感と高揚感を持てるし、自信を感じやすい。短期の目標は、明確に意識しやすいため、仲間と共同作業を行いやすい。だから「仲間と一緒にやり遂げる」という感覚も持てる。さらに、短期目標は必死にならざるを得ないので、そのほかの小さい悩みを考えるいとまがない。つまり、嫌なことを忘れられる効果もある。

しかも短期目標型の行動パターンは、子供の心の強さと相性がいい。子供のころは疲れ知らずだったので、短期目標の連続でやる気を出した人が、良い成績をあげられる。評価もされただろう。テストや宿題なども、短期目標の連続だ。インターバルトレーニング方式(にんじん方式)で力を出す練習をしすぎてしまった。このタイプは、たまたま複数の課題が重なった時や、終わりの見えない長期の課題に向き合わなければならない時、どうしてもムリが溜まってしまう。

『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)』下園 壮太  著

仕事に対して、入社当初のようなモチベーションが持てなくなってきていた4年目の私。終わりの見えない仕事という概念に対して途方に暮れている節があったので、この一節にもハーマイオニーばりの全力挙手。

私は、テストや受験、就活など頑張りたいことがある期間は、一切の娯楽を遮断して自分を追い込む人間だった。ガッと全力を出す時の高揚感、頑張っている自分への自尊感情、終わった後の開放感と達成感が好物だった。私は才能がないので、努力と時間で周りに勝つしかない、そう若き頭で考えた戦略でこれまでずっとやってきていた。

その頑張り方で長期戦である仕事に向き合ったがためにガソリン切れを起こした、という状態らしい。ははーん、納得。ためになる本に出会えた。ありがとうございます下園先生。


4. これからの健やかと穏やかのために

上記のことから、仕事に対して、今までと同じ向き合い方をしていたらまた体を壊してしまう、ということはどうやら確度の高い事実でありそうだと思っている。ということは、仕事に対する向き合い方含め、人生のやっていき方を改めなければならない。

良くも悪くも、今回メンタルダウンしたことをきっかけに内省は随分と進んでいる。私は何者でもないけれど、そのままの自分だって捨てたもんじゃないと思えているし、こんな自分を見守ってくれる人間に恵まれているし、荒んだ世の中にも綺麗な景色はあるし、将来叶えたい夢だってある。

持続的な生活を送っていくための具体的な行動指針は、休職期間をかけてゆっくり言葉にしていくつもりだが、現時点で意識していることは以下だ。

  • 頑張らないを頑張る

  • 自分の感情を一度認める

  • 60%で良いと思う

  • 定期的な散歩と銭湯

  • 栄養を摂る

  • 事あるごとに書く

そして私の夢は、陽当たりの良い家で猫二匹と穏やかに暮らすこと。そのためには、仕事で何かすごいことを成し遂げなくたって良いし、ちょっと嫌なことがあって凹んだって良い。自分の生活を自分で作っていけたら、それだけでいいんじゃないかって、思えるようになってきた。

ま、そんなに上手くはいかないんだけどねっ。

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