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他者への贈り物が自然とできるようになった時に、自分の状態が「良好」だと知った話

今年に入ってから、私の数少ない大事な友人が結婚したり出産したりと、めでたいことが重なり、あれやこれやとお祝いを立て続けに送った。
もちろん、20代の頃から結婚だ出産だといろいろ聞いていたけれど、その時は「お祝いを贈ろう」という流れにはならなかった。LINEで連絡が来て、「お、良かったね。おめでとう!」と返信するだけだったように思う。
そこには相手に対しての妬みみたいな感情は皆無で、ただ単に「何かお祝いを贈ろう」という選択肢がそもそも自分になかった。本当に気が利かない奴だったなぁと思う。

でも、もう少し細かく振り返ると、当時はとにかく「余裕がなかったこと」に尽きる。さらに分解していくと、それは「時間的な余裕」「精神的な余裕」「金銭的な余裕」に分かれていく。

時間的な余裕と精神的な余裕
この2つは似ている。20代の頃はとにかくハードワークで、仕事一辺倒な時期が4年ほど続いていた。休みも少なく、一日15時間拘束は当たり前。自分の心身をリカバリーするので精一杯で、他人のことを考える余裕が全くなかった。仕事以外やれることがなく、常に睡眠不足で、本来好きだった趣味にも全く手をつけられず、心身ともに長らく荒んでいたと思う。

金銭的な余裕
20代の頃、とにかく手持ちのお金が少なくて、生きていくのに精一杯だった時期があった。自分のやりたかったことを成し遂げるために必要なお金を貯めるのにも必死だったし(世界一周旅行の資金)、旅から帰ってきた後の悲惨な預金残高を見ると、とてもじゃないけどお祝いどころではなかった。

己が満ちた頃、視野が広がってきた
ハードな仕事を辞めて、試行錯誤を繰り返す毎日を過ごす中、30代を迎えた。いつの間にか自分にも結婚するタイミングが訪れ、程なくして子供が産まれた。三人家族として生活していく中で、仕事のスタイルや生き方について真剣に考えはじめて一つ一つ改善した結果、上記3つの余裕が徐々に生まれてきた。具体的には転職したことで可処分時間が大幅に上がり、QOLも格段に上がった。個人事業も細く長く続けることで精神的な余裕と金銭的な余裕も生まれてきた。

まずは己を満たせ。話はそれからだ
自分よりも相手のことを思う無償の愛というのは尊いけれど、親が子どもに対して、または配偶者に対してのみ感じることなのではと思う。

残念ながら私には、自分に余裕がなくても他人に優しくできるなんて、そんな器量は持ち合わせていない。
逆説的ではあるけれど、
人に優しくあるためには、まずは自分に優しくなければならない。
人を幸せにするためには、まずは自分が幸せでなければならない。
相手を満たすには、自分も満たされていないといけない。
そう感じるようになった。

自分自身が良い状態でいることで、やっと周りの人々を良くすることができる。自己を犠牲にして他人に何かを施していても、それは刹那的であまりよろしくない。

いつでも贈り物ができる自分でいたい。
いつでも人に優しい自分でいたい。
そう思うのなら、まずは自分を満たすべきだ。

人間は空腹時と満腹時、寒い時と暖かい時では意見が変わると言う。
大事な意思決定の時は、暖かくして、お腹を満たしてからするといい。
つまりこれも、自分を「良好」な状態にしておく重要さがわかる。

心身ともに健康でい続けるのさえ難しい世の中だけど、精一杯気を遣って良好な状態をキープしたい。これからも人に優しくあるために。
「めでたいな。お祝いを贈ろう」と無意識に感じはじめたことで、自分の今の状態が「良好」なのだと知る。
やはり他者は自分を映す鏡だなと感じる、今日この頃。

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