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人生をふり返ってみたら、現在地という足場がかたまってきた

こんにちは、ひろのです。

最近、今ここにあるもの、として人生をふり返ることに時間を使っています。

人生を振り返ることをなんとなく避けてきたわたしが、意を決してはじめの一歩として選んだのは、ぐっちさんの新プログラム。これまでの人生を振り返り、物語のように語り、分岐の選択から見えてくるもの、受け取れるものに気づいていくようなプログラムです。

こんなひとに向けてかいています。

・今までご自身で内省したり、ジャーナリングをして、ご自身を見つめようとしたけれど、深いところに触れられている感覚がない方
・これからの人生やキャリアに迷いがある方
・今までの経験が自分の今にどう繋がっているのか興味がある方
・ご自身の今までの経験や体験を誰かに伝える必要がある方
・ご自身の経験を振り返り、SNSなどで自己開示をしていく材料を探している方
・「自分史」に興味がある方

上記noteの「おすすめしたいひと」より

ふり返るまでの背景

この1年、人生の過渡期にいるな~とひしひしと感じる日々を過ごしてきました。

仕事に関して今のままでは何かが違う、という感覚の限界点でコーチングマインドに出会い、コーチングスクールやワークショップでの体験、日々の内省を経て、結果として次のビジョンが見えてきている今があります。

その過程として転職をしたい。ここが気になる!という直感はある。これまでの経験から直感は案外的を得ていることを知っています。

けれど、キャリア的観点から自分が具体でやりたいこと、貢献のためにできることを伝えようと整理し始めると、妄想の他者とランクを比べ内発的動機を批判する自分が大きくなり、背景のない直感がぶれてくるのです。

このぶれには、実験的に直感を信じて動いてみたけれど結果につながらなかったという体験も影響しています。現在のぶれる思考元はおもに2つ。

・ひとつめは、極端なバイアスがかかった見方をしていないかということ。

半年ほどの間に直感のわいた3社へ応募してみて、直感のわく対象に変遷がありました。応募したことにも、その結果にも納得がいっています。ただし、当時はひとつひとつの気づきに強くひっぱられ極端なバイアスがかかっていたことも確かでした。問い続けた結果として気づいていくわけですが、わたしに都合がよさそうなメガネをかけて、対象をみてはいないか、と立ち止まりたくなるのです。

・ふたつめは、いまここのわたしの取説をはたして適切に提示できているだろうかということ。

直感は価値観に基づいているので、企業の在り方に対する強い共感はありますし、志望動機もあります。

一方でバックグラウンドが異なる仕事のため、どういう環境でどんな価値提供ができるか伝えることに難しさを感じていました。自分なりに工夫しても、対話の返答から不安点の払拭には至っていないのだと感じたことがあります。

もちろんこちらの想像の余地も、伝え方の工夫の余地もあるでしょう。でもきっと、つたえるときに「本当にそうか?」という自分の発言に対しての不安が現れ出ているのだとおもいます。わたしは、いまここのわたしの取説をはたして提示できているだろうか。

そうして、今の直感がより本質的なビジョンに近づいていると感じているからこそ、直感や、直感に伴う行動に対して慎重になっていることに気づきます。

直感は、今ここのわたしが詰まって反映されているものではないか。仮にそう考えるなら、これまでのわたしにあるものを見つめてみれば直感に納得ある背景を肉付けできるのではないか。同時にないものはないものとして見つめてみれば、より等身大の自分が浮かび上がるのではないか。

内発的な直感も、外発的な思考も納得して、今ここにある衝動を起点に行動したい。そのために、人生という視点で自分をふり返ることにしました。


このプログラムを選んだ理由

人生を振り返る機会は、就活のときにもありましたし、ライフログとよばれるものにも関心はありました。しかし、じっくりとやったことはありません。

それは、ふり返ってもわたしの中にはなんにもないよ、というどこか批判的にとらえている、過去の自分を受け入れずにいたいわたしがいたのだと思います。

しかし、この1年、コーチングとの接点を通して自己受容が高まり、自身に対してもコーチングマインドが育まれているように感じています。今ならフラットにふり返れる気がしました。

とはいえ、ひとりでやるにはなかなかタフな作業です。いろんな視点が同時に発生し、分散しそう。そんなときに、プログラムのモニター案内が目に留まり応募させていただきました。フラットに、一緒に受けとめながら見つめてもらうにはぴったりだと感じました。

また、ぐっちさんのSNSを通じて、コーチングに邁進し、ありのままのパワフルなエネルギーを感じていたことも決めてのひとつです。


ふり返り体験から得たこと

ふり返りは、人生曲線とそのなかの転機、その選択のもととなる価値観に順々に焦点を当てていきました。

ふり返ってみて、得た体感は3つあります。

①パターンを目の当たりにする
改めてふり返ってみると、良い時と悪い時のパターンが浮き彫りになります。それはちょっと書いただけでは気づかないんだけど、話していくとにじみでてくるようでした。

わたしの場合の良い時は、直感が衝動となり行動に移せたとき、悪い時は思考による観念が優位にたっているときや直感と観念が葛藤しているときです。直感がはたらくときは何かとつながっている体感や他者と関わっていることが特徴的です。

わたしが、1番受容できずにいた経験は大学受験で頑張れなかったことでした。志望校が定められず、モチベーション低く勉強しているふりをしつづけていました。自分と向き合いきれなかったこの経験は、10年近く自己批判的に影響していきます。

今のわたしから見ると、はじめてひとりでに社会と接点をもつ機会に、とても戸惑っていたのだと意味づけされます。直感・内発的動機で動くことは将来性が低く不安だと定め、一方で低いと定めている現実的な観念をもとにした外発的動機だけではエンジンになりきらない。

ほかの視点で見てみると、ストレングスファインダーの最下位が競争性と戦略性ということも受験という戦いに乗り気になれなかったことに反映されていそうです。それでいて、誰に対しても相談しなかった。逃避的なこの経験を肯定に変えるまでには至りませんが、活力を駆動させる条件がそろっていなかったんだね、観念がつよく働いていたんだね、と受けとめられるようになりました。

その影った経験が、その後のすべてを曇らせているかというと必ずしもそうではないと知っている今だからこその見方かもしれません。

②明らめて受容する
さかのぼってみると、確かに今のわたしや観念に影響を及ぼしていそうな経験が思い出されます。でも、見つめるほどにそれも原因のひとつかもしれないけれど、それがなくてもはじめからわたしはわたしである、という感覚になってきます。姉妹で同じ経験をしていても、どこを印象付けて身に着けるかは同じではないからです。極端に言うと、逆説的にわたしという特徴を経験によって色濃くしているかのような感覚にもなってきます。

それは評価判断なく、明らめて受け止める感覚。

これは、生活水準が一般的な環境で過ごせたことを前提とした意味づけかもしれませんし、ストレングスファインダーの運命思考が上から11番目と比較的高い価値観の反映かもしれません。

③何かが変わるわけではない、だけど現在地という足場がかたまる

現在もこのプログラム体験を起点に、解像度をあげながらふり返り中です。一度ほかのことはセーブしてふり返りをやりきってみよう、と思ったからです。その間、なにか外に向けた行動は起こしてはいないので、即自的なフィードバックがなく、なにも進んでいない感覚に陥り不安になるときがあります。

ふり返ってみても、目の前のことの何かが変わるわけではない。でも、沸々といままでにすでにあったわたしに気づいていきます。ふり返ることで、現在地という足場がかたまっていく感覚が強まります

ふりかえりの最後、ぐっちさんが「この先どう生きたいか」問うてくれました。ふり返っても尚、直感で見ていたビジョンと重なる未来。それは、今のわたしがものごとを捉えて考えているから、良し悪しなく、そう容易く揺るがないのだなと感じました。

次の一歩をふみだすとき、足をあげることも大切だけれど、その前提としてもう片足がどっしり地について軸足として支えられていることもとても大切なではないかと感じつつあります。


おわりに


ひとは人生という物語を意思とは関係なく創っているのではないか。そんな言葉をきいたとき、少し肩の力がぬけたわたしがいます。そのうえで、やっぱり意思をもって創ってみたい。

ふり返りは、そんな次の一歩のためのいまここの土台作りのように思います。あたりまえに根底に流れる衝動に気づくかもしれないし、自分の在り方が変わる環境パターンに気づくかもしれない。それらのひとつひとつはちっぽけだけど、かき集めたらなかなか豊かな全体性をもっているものです。全体性を今までよりも少し広く知ったら、肩の力が抜けたままでもふみ出す一歩は力強くなるのではないかと感じています。

人生のふり返りが気になった方は、ぜひぐっちさんのプログラムをおすすめします。はじめて接点をもたせていただきましたが、真摯にわたしの物語と核にあるものを受容し、寄り添い、響くフィードバックをくださいました。

ふり返りきるとはいっても、そろそろ動きたい、という気持ちが高まっています。勢いよく突き進んでいるようにみえるひとを羨むこともあるけれど、ぶれる思考が納得いくまでもう少し耐えるとき。しっかり足場をかためて、ビジョンへ一歩近づきたい。

最後までお読みいただきありがとうございました。





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