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未来の自分の背中は、誰が押すんだろう

毎朝30分でクオリティを気にせず「とりあえず」書くnote、2日目。
(明日には終わりそう)

「無茶は若いうちにしておけ」
「ふんばりがきくうちに」
「ガッツがあるうちに」
と、いろんな言葉を変えて言われる。

文字通り若い頃(20代)は、がむしゃらに働いた。身体を壊すまで働いた。気づいていなかったけど、心も壊れていたのかもしれない。

すべての経験は裏表があるコインのように、メリットもデメリットもある。泣きながら歯を食いしばりながら毎日戦って働いた日々で得られた知見や体験がベースになって、今もご飯が食べられている事実もある。

その反面、仕事にすべての時間を注いだせいで失ったことも少なくない。

仕事をやめて、一人で長旅に出て、帰国した後、コロナ禍を迎えた。自分自身も生き方を変えようと思って働き方のスタイルを変えた。

「あまり無理しない」「頑張りすぎない」「自分と身の回りを大切にすることを第一優先に」と自分に言い聞かせながら、自分のペースで仕事をするようになった。

これでいいともと思う。幸せを感じる瞬間も増えた。でも、もし「もう一度がむしゃらに多少無茶してでも働きたい!」と思った時、動けるだろうか。とも思う。

「もうそんなことは思わないよ、ハードワークはうんざりだよ」と言うかもしれない。でも今まで通りの生活ができなくなったら?もっと稼がないといけない環境になったら?

僕は今年で31歳になるんだけど、世間的にはまだまだ全然働き盛りで「ガツガツいけよ!」「無茶しまくってガッツリ働けよ!」と言われるような世代である。

このまま自分のペースを保ちつつ、にゅる〜っと生活できたらいいな、なんて甘いことを考えつつも
「30代のうちにもう一度めちゃくちゃに頑張る時期をもうけないと、40代以降苦労するかも」
「まだまだがんばれるかも」
「20代は不器用だっただけだ。がんばること自体は学びがあって楽しいはずだから、工夫しながら頑張ればいいんだ」

なんてことを考えている。
いろんな縁があって、来月からは新しい案件をこなすことになる。新たな人との出会いもあって、今までのフリーランス生活とはまた違うルーティンになる。

今を生きるための仕事も必要だけど、将来をより輝かせるための種まきを、今のうちにたくさん仕込んでおかなきゃと感じている、今日このごろ。

歯を食いしばりながら頑張った過去の自分が、今の自分の背中を押している。だとすれば、今頑張っていなければ、未来の自分の背中は誰が押すんだろう。

がんばろう。

昨日のこと

9%のストロングチューハイはもう飲みたくないと思っているんだけど、たまたまもらう機会があって、捨てるのももったいないので飲んでいた。するとあっという間に酔っ払ってしまった。

お酒は好きだけど、これからはおいしいと思うものを適量飲んで気持ちよく一日を終えられるようにしたいものだ。

30代を迎えてから、いろんなシーンで「あぁ僕もすっかりおじさんだなぁ」と感じることが多くなったけれど、まだまだ未熟だ。
でも、おじさん=完熟というわけでもない。

熟女は完熟してるから熟女なのだろうか。
「未熟な熟女」もいるのだろうか。
「熟している」って、どういうこと?

今日も絶賛くだらないことを考えています。


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