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前に出る子ども、後ろにのけぞる大人

気づけば、フリーランスに転身してからもう1年半が経とうとしている。決して100点満点ではないけれど、自分のペースでアンテナを張って日々を紡いでいる。せっかくフリーになったのだからと思って、いろんなことにチャレンジしていろいろと手を出してきた。

今月からまた、新しい仕事に着手している。しかも今までとは違うジャンルの仕事を、新規で2種類。あっちもこっちも「ん?これどうやるんだ?」「なんだっけこれ」「うわー大変そうだ」とわちゃわちゃしている。

新しい職場環境、新しい仕事というのはわからないことだらけだ。かつての自分も、そういうときがあった。誰もがみんな最初は初心者だ。

はじめて入社したとき
異業種に転職したとき
右も左も分からずフリーになったとき

年相応になると、未知から既知になるタイミングが段々と減っていく。既知にさらに磨きをかけるような仕事を繰り返して、やがてプロフェッショナルになっていく。より狭く、より深く、研ぎ澄ましていく。

はじめて着手するときの、分からないことだらけの焦りとワクワク感が入り混じったような脳内のカオスを、今久しぶりに味わっている。

知らないことを知ったときの気持ちや、新しいことをはじめるときの喜びと不安、緊張がもみくちゃになったような感情は、残りの人生で後何回感じられるだろう。

年令を重ねるたびに、マインドはどんどん保守的になっていく。今までのルーティンを崩したくない。今までどおり、いつもどおりが心地よい。仕事も人間関係も、慣れた作業や付き合いの方が心理的負担は圧倒的に軽い。

そうなると、新しいことにチャレンジする機会が明らかに目減りしていく。新しいことをやらないのが悪いってわけではないけれど、自分の可能性を広げ、まだ見ぬ景色を見てみたいという気持ちを、一体いつまで持てるだろう。


「得体のしれない物体を見た時、びっくりしながらも前に出るのが子ども、驚いて後ろにのけぞるのが大人」という言葉をなにかの本で読んだことがある。

知らないもの、見たことないものは無条件に怖くて、不気味で、触らないほうがいいと考える。それはきっと生存本能として正しい。

でも子どもの時はもっと純粋だから、恐怖心よりも好奇心が勝つ。実際に近づいてみて、触ってみたくなる。

近づいて触ってみたとき、はじめてそれは「体験」となり、自分の中に経験が蓄積されていく。子どものときは毎日が初体験で、自然とトライアンドエラーができていた。いまは、どうだろう?リスクを考えたり金銭面の心配をすることばかりで地団駄を踏んでしまうことが少しずつ増えてきた。これもきっと、大人になる過程である程度は身につけるべき思考なのだろうか。

恐怖心と好奇心、どちらも生きていくうえで必要だけど、いつまでも好奇心を忘れずにいたいと思う、そんな10月のはじまり。(もう6日だけど)

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