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百菓日記①

おいていかないで

 六月九日、曇り。
 家庭科でエプロンを作った。水色生地に白色の水玉。ママにあげた。そうしたら、ママの目がうるうるうるってしてきて、焦っちゃった。
 エプロン作った生地の余りで、猫を作った。手の大きさの猫。綿詰めて、ふわふわの猫にしようと思ったけど、給食の時間になって、平べったいままの猫ができた。キラキラの金色の目玉にした。何が映っても、キラキラに映ると思ったから。

 オレは水色と白色の水玉猫。クールな猫だ。体は平べったくて、八センチ。キラキラ金色の目玉が二つ、片面に光ってる。
 オレのご主人は、真希だ。真希のピアノ教室のかばんに青色の糸でもって、ぶら下がっている。
 真希は、オレの目ん玉がある面を外へ向けてくれる。平べったいオレの体が風にふわんっとしてひっくり返っても、真希はすぐに目ん玉がある面を外へ向けてくれる。オレが人間世界を観察できるように。

  六月十三日、空が白く晴れてる。
 明菜が足首に結んでくれた青い糸が切れた。切れたら願い事が叶うって、明菜が言った。それで願い事をしたはずなのに、何を願ったのか忘れた。
 切れた青い糸で、ピアノ教室のかばんに水玉猫をぶら下げた。玲子先生が「キラキラの目玉が素敵」って言って、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』を弾いた。うっとりした。

 平べったいオレの体。風がくすぐって舞う。
 ピアノ教室へ行く道、帰り道、真希は細長い公園を突っ切る。ずっと四時を指したままの時計が高くそびえ立っている公園には、さびついたブランコだけ。誰もいない。
 真希はこの公園を突っ切るとき、いつも歌う。かばんをぶんぶん振り回すから、オレもぶんぶんとなる。
 真希は歌う。 
「おばけなんてないさ。おばけなんてうそさ。ねぼけたひとがみまちがえたのさ」

 六月二十八日、空がプラム色の夕方。
 さびしんぼ公園の時計は、なぜ四時を指したままなのか。あれは、夕方の四時を指しているのか。夜明けの四時を指しているのか。
「おばけの時間よ。お、ば、け、の」と、明菜が言っていた。

 ピアノの先生は、女の人だ。切れ長の目が光る色白の肌は、ピアノを奏でるとき、ほっぺの辺りが紅くなる。
 先生がお手本を弾くとき、真希はぽぉっと先生に見惚れている。
 先生にほめられた帰り道の公園、真希はかばんをぶんぶんっぶんぶんっ振り回して、はりきって歌う。オレもぶんぶんっしながら、青色の糸がちぎれぬことを願う。まごまごして上手に弾けなかった帰り道の公園、真希はかばんをぶらんぶらんさせて、しょんぼり歌う。オレもぶらんぶらんしながら「おばけなんてないさー」って歌ってやりたくなる。
 はりきりな歌の日の真希も、しょんぼりな歌の日の真希も、オレは知ってる。

 七月七日、七夕の空は小雨。
 天の川が細かい雨に霞んでる。おり姫とひこ星は会えるのかな。
 玲子先生が「七夕って、雨の確率が高い気がする」って言ってたな。

 ある日のピアノ教室。真希の次の生徒さんが風邪をひいてお休みした。真希がオレのぶら下がったかばんにバイエルをしまっていると、先生が誘った。
「おやつ買いに行こうか」
 とたんに真希がかばんをぎゅっと抱きしめた。オレの平べったい体の全部に、真希のドッキンドッキンが伝わった。
 その日の帰り道は、スキップのぶんぶんで公園を突っ切った。

  七月十四日、雨音。
 午前ニ時十四分。まだ夜明けていない。雨の音で目が覚めちゃった。初夏の梅雨空。雨音って好き。夜中に書く字は、へろへろしてるな。
 玲子先生と食べたチョコレートクッキー。百倍美味しかったな。

 八月十三日、雷。
 ヒッチコックの誕生日だ。
 さびしんぼ公園を通り抜けているとき、空が光った。雷の音が遠くでゴロロロって言った。稲光に水玉猫の目玉がキランとした。
 発表会の曲『星に願いを』にしよう。
 台風が近づいてる。

 真希と、ずっと、ぶんぶんしてると思ってた。
 真希もオレも飛ばされそうな台風の日だってあった。
 公園突っ切るのがもったいないぽかぽかな日だってあった。
 オレのご主人は真希だから、ずっと、一緒だと思ってた。

 十一月二十八日、晴れ。
 明菜と中学の制服を作りに行った。お店の人が「あなた、スーっと背が伸びるわ。足が大きいもの。大きめに制服作りましょう」って言った。ぶかぶかな制服になるのかな。
 帰り道に年賀状を買った。早め早めに書こうと思う。

 平べったいオレの体。ピアノの鼓動で震える。
 いつものレッスンが終わったあと、先生が凛とした声で言った。
「先生ね、少し遠くへ引っ越すことになったの」
 その日の帰り道の公園、真希は歌わず、無言だった。とぼとぼ歩きで、かばんを持ってる腕だけぶんぶん振り回した。とても怒っているみたいに。とても悲しいみたいに。
 真希はぶんぶんっぶんぶんっ振り回した。そして、オレと真希をつないでいる青色の糸が、あっけなくぷんっと切れた。
 オレは飛んだ。飛んで。飛んで。飛んで。空へ吸い込まれそうに飛んだ。
 四時を指したまま無表情にそびえ立つ時計のてっぺんクギに、青色の糸がくるくるくるくる引っかかった。
 真希はとぼとぼ公園を歩き去って行く。腕をぶんぶんっ公園を去って行く。何もなかったかのように。
 ……真希。オレを、オレを、おいていかないでくれ!オレを!
 オレの声は届かない。平べったいオレの体。オレの声は届かない。
 ……真希。夕日が、夕日がきれいだぜ。

  十二月二十日、雪が降りそう。
 ママにピアノ教室やめるって言ったら、あらまって顔した。玲子先生のいないピアノ教室なんて。
 水玉猫も消えた。なぜ、大切なものばかり消えていくのだろう。
 明日から冬休み。年賀状はまだ書いてない。 


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