森会長のご発言とガバナンスコードに関する雑感

1. 森会長のご発言要旨

まず、今回メディアが問題視した森会長の発言箇所については、下記のスポニチさんの記事に依拠させていただきます(2021.2.15ソースをより正確な本記事に変更させていただきました)。

森会長のご発言は、JOCの臨時評議員会において、日本ラグビーフットボール協会(以下「ラグビー協会」という)と東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下「オリ・パラ組織委員会」という)における女性理事のご活躍について、両組織を対比させる形で発せられたものでした。

発言の趣旨として、女性理事に関する部分では、ラグビー協会においては、スポーツ庁が策定した「スポーツ団体ガバナンスコード(中央競技団体向け)」(以下「ガバナンスコード」という)に従って登用された女性理事が優れているという認識を示された上で、(5人の女性理事のうち競技経験者が1人だけであり)質疑に時間が多く割かれ議事運営に苦慮されていることを伺わせる一方で、オリ・パラ組織委員会での女性理事(荒木田裕子理事、田中理恵理事、谷本歩実理事、成田真由美理事、丸川珠代理事、蜷川実花理事、ヨーコ・ゼッターランド理事)に関しては、そのご発言が国際的な経験に基づき的を射たもので、オリ・パラ組織委員会にとって非常に役立っているため、欠員があった場合には女性理事登用を望むというものでした。

【スポーツ団体ガバナンスコード<中央競技団体向け>】

原則2 適切な組織運営を確保するための役員等の体制を整備すべきである。(1) 組織の役員及び評議員の構成等における多様性の確保を図ること① 外部理事の目標割合(25%以上)及び女性理事の目標割合(40%以上)を設定
するとともに、その達成に向けた具体的な方策を講じること
② 評議員会を置く NF においては、外部評議員及び女性評議員の目標割合を設定するとともに、その達成に向けた具体的方策を講じること
アスリート委員会を設置し、その意見を組織運営に反映させるための具体的な方策を講じること
(2) 理事会を適正な規模とし、実効性の確保を図ること
(3) 役員等の新陳代謝を図る仕組みを設けること
理事の就任時の年齢に制限を設けること
理事が原則として 10 年を超えて在任することがないよう再任回数の上限を設けること
(4) 独立した諮問委員会として役員候補者選考委員会を設置し、構成員に有識者を配置すること

森会長の挨拶は約40分にわたるもので、今回メディアで報じられた箇所は、そのほとんどが女性理事に関するものやオリパラ開催の決意に係るものでしたが、中央競技団体(以下「NF」という)のガバナンス上、重要なご発言もされております。

そのラグビー協会もW杯前の19年6月に人事。新聞記者に聞いたら、W杯を目の前に辞めることないんじゃないかと。W杯が終わったら辞めればいいと。当時の会長もそうだとなり、みんなが黙って言えないことになっていたんだと。私はそれで憤慨したんです。自分たちがやりたいがために役員人事を半年延ばすのはもってのほか私は強く抗議した。ただし、今まで一生懸命に苦労した役員のみなさんにはW杯の試合を全部見られるように手配しなさいと。見事に直前に岡村さんから今の森さんに変わられたと。

このご発言は、ラグビーワールドカップ日本招致の最大功労者である森喜朗氏自らがワールドカップを目前にしてラグビー協会名誉会長を辞することと引き換えに、岡村会長をはじめ当時の執行部に役員体制の刷新を求めたことを回顧したものです。この森氏の英断によってラグビー協会で役員体制の刷新(24名の理事のうち11名が新任となり、女性理事が3名増員執行部の若返りが図られたことは、NFにおけるガバナンス機能の強化を語る上で特筆すべき点でありました。


2.NF内における外部理事に求められる役割とは

外部の知見を取り入れることは、スポーツ団体のガバナンス上極めて重要であることに疑いはありません。前掲のスポーツ庁によるスポーツ団体ガバナンスコード答申案では、NF内において特定の競技実績者に対する権限集中が不祥事を招いたことを指摘しています。

NF の運営において、競技実績が過度に重視され、特定の競技実績者に権限
が集中する
と、競技に特有の常識や慣行にとらわれがちになり、客観的に見るとバランスを欠く意思決定や業務執行がなされるおそれがある。実際に、近年の NF における不祥事事案でも、競技実績者への過度な偏重が不適切な組織運営を招いた要因として挙げられることが少なくない。

2013年には、女子柔道ナショナルチームにおいて、常態的な暴力指導や組織ぐるみでの助成金不正受給等の問題が明るみに出たことが契機となり、当事者団体の全柔連だけでなく、空手道連盟やラグビー協会など他のNFでも初の女性理事の登用外部理事の登用が緩やかながらも進みました。日本陸連で高橋尚子氏が理事に登用されたのも2013年のことでした。

前掲の全柔連と空手道連盟において登用された女性理事は、国際舞台で活躍され各競技の発展に貢献されてきた先生方(審判含む)でしたが、2013年にラグビー協会初の女性理事に就任された稲澤裕子理事は読売新聞社ご出身の外部理事で、女性問題に関する功績が評価され「ラグビーの素人としての意見を求められての起用」であったとされています(ソースは下記リンク)。

稲澤先生の登用効果は、「他の理事は見えない序列があるようで、質問しにくく、『代わりに聞いてほしい』と頼まれることもあった」とのコメントに現れています。全柔連の溝口紀子理事(バルセロナ五輪銀メダリスト)が指摘するように「実績がなければ排除されちゃうような特殊な構造の中でモノが言えなくなっている」(当時の全柔連のような)組織においては、外部有識者の登用は、NF内での慣例に縛られない自由闊達な議論を促進し、特定権力者への権限集中を監督・牽制する作用を果たし、ガバナンス機能の強化を担うことが期待されたものでした。

3.ガバナンスコードはアスリートファーストであるのか

NFにおけるガバナンス機能の強化上、重要な役割を期待されていた稲澤先生ですが、当時のことを振り返り「私は新聞記者だったので、質問をするのが仕事。しかも、初の女性であり、ラグビーのことを全く知らない素人。理事会でも次々と分からないことは聞いちゃう」ともコメントされています。

JOC理事で日本クレー射撃協会の夏樹陽子理事は、NFにおける女性理事が果たす役割として「アスリートの意見を吸い上げて、上に持っていくことが基本」と述べられています。女性理事の多くをスポーツ分野が専門ではない外部理事が占めることになると、ガバナンス機能の強化は担保される一方で、女性理事に期待されるアスリートの意見反映等の役割が薄まり、本来NFが担う競技の発展と競技環境の改善という機能までも脆弱化してしまうおそれがあります。

現在は、ラグビー協会における女性理事は5名にまで増えましたが、その中で競技出身者は浅見敬子理事(元女子セブンズ代表ヘッドコーチ)の1名だけという現状です。女性の外部理事は、厚労省において男女雇用機会均等やセクハラ防止施策等に貢献された石井淳子先生(全柔連副会長)をはじめ、下記の4名の先生方が登用されています。前述のように、外部理事の専門的知見は組織の健全な運営上、欠くことのできない貴重なものですが、(理事を引き受けて下さる先生方は大変有り難い存在ではあるものの)人選の在り方に検討の余地があるのではないかと感じるのもスポーツファンとして率直な気持ちです。

男子に比べて歴史も競技人口も圧倒的に少ない女子ラグビーにとっては、女性指導者の育成が喫緊の課題となっています。他の競技団体と一律にガバナンスコードを適用することは、女性アスリートの指導実績がある男性理事の登用を阻害することにもつながるおそれがあります。男女の競技人口に著しい差が認められるようなNFにあっては、理事の人選において性別や特定の専門分野にかかわらず、競技の発展や女性アスリートの競技環境改善に寄与する優秀な人材を広く募ることが重要ではないかと思料いたします。


浅見敬子理事のご活躍を伝える記事

稲澤裕子理事のご経歴

石井淳子理事のご経歴

斎木尚子理事のご経歴

谷口真由美理事のご経歴と就任経緯等に関する記事


4.おわりに

アスリートファーストの理念を重視し、ガバナンスコードの厳格運用を身をもって示されてきた森会長が、ラグビー協会での議事運営に関して一種の苦言を呈されたのは、女性の競技人口が極めて少ないNFにおいて女性理事の登用目標を厳格に適用することの問題点を示唆するものであったのではないでしょうか。

もちろん、海外メディアに五輪関連のニュースを抜かれ続け、なりふり構わずネタ探しに躍起になっている国内メディアの存在を考慮すれば、森会長の発言は不用意なもので、言葉の選択を誤った責任はあると思います。

しかしながら、長年にわたり競技団体のトップを務め世界的ビッグイベントの招致に成功した知見を持ち、オリンピアンとパラリンピアンを分け隔てなく処遇するダイバーシティの推進者であった森会長を経由して伝えられたNFのガバナンスに関する現場の声が、「女性蔑視」の名の下にその背景すらも無視されて封殺されてしまい、有本香さんなど一部の心あるジャーリストを除いて建設的な議論に発展しなかったことに関しては、非常に残念に思います。

オリパラ組織委員会会長としての役員報酬をアルバイト職員の給与額相当にまで減額させた上で、それをすべて積み立てて職員のために支弁される森会長が仰る「わきまえる」という言葉が指すところは、「空気を読む」という場当たり的な意味合いなどではなく、「アスリートのために仕事をするという自身の役割を心得ている」という当たり前の意味であると信じて疑いません。

最後に、2018年に森会長がオリンピック・パラリンピックの成功について強い決意を語られた言葉を紹介させていただきます。志半ばで、このような形で身を引かれるのはさぞかし無念のことと存じますが、この場を借りて、森喜朗先生の長きにわたるスポーツ界に対するご尽力に感謝を申し上げます。

僕は今、がんの治療中で、右手の包帯はその副作用なんだ。やけどのような肌は薬が効いている証拠。43年間国会議員として国に尽くしてきたが、残りの人生も何かに尽くしたいとこの仕事を引き受けた。だから今、神様が守ってくれているんだよ。オリパラを成功させる。そして、その先に障害の有無に関わらず、みんなが楽しめる社会ができているんだと思う。

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