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コロナ禍があったからこそ人との触れ合いを大事にするようになったのかもしれない

こんばんは。

2019 年から 2020 年にかけて発生して猛威を振るった COVID-19 も、実態がどうかは別として、インフルエンザぐらいの感染症になってきた感覚があります。ECMO という言葉の響きも耳に残っていません。

コロナ禍幕開けの2020年2月、ダイヤモンドプリンセスで感染者が発生したところで、これからどうなるんだろうと心配した日々。それから緊急事態宣言が発令され、誰にも会えない日々。日常的に会えていた人とも交流が途絶え、ひとり悶々と過ごした日々。

ひとりだからこそ、ひとりで外出する分には問題ないだろうと、毎日外に出ていました(お散歩です)。しかも、お互いに普段誰とも会っておらず濃厚接触者がいないからと、飲み会を月一でやったり。ひとりの寂しさを味わいながら、ひとり故の特権も享受していたことは確かです。

誰とも会えない中でもオンライン飲み会なんてのもやりましたっけ。遠く離れた人とも顔を合わせることができる、あの時ほど情報通信技術のありがたさを味わいました。今となっては「オンライン」も「飲み会」も日常使う言葉ですが「オンライン飲み会」は死語同然となりましたね。

人と会いづらくなるコロナ禍を過ごした結果、わたしは、人との交流を大事にするようになった、そんな気がします。画面越しに会ったりチャットやメールのように文字や絵文字・スタンプで交流する良さも味わったからこそ、オンラインではなくて、対面で会いたい。画面越しではわからないことがある。

大学院では課外活動でコミュニケーションについて一生懸命考える日々でした。コミュニケーションの観点からすると、対面で会える環境でもオンラインで会ったりペンパルしたりすることが良い時もあります。だからこそ、直接会う良さが分かりました。

逆に、コロナ禍がなければ、人と会う良さが分からなかったかもしれません。

いつものようにとりとめのない文章になりました。今日はここまで。

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