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「べき」から「すき」へ

なんだかずいぶんと窮屈な世の中になってしまった昨今ですが。そんな時だからことそ「べき」じゃなくて「すき」なことが話せるよういなるといいなという話です。

1.「べき」世界へようこそ

同じ業界に長くいると業界特有の「べき」に染まってしまうことがある。「べき」とは業界に蔓延する「これが正解だ」という風潮(本当かどうかは別にして)であったり多数派の姿勢のことを指す。「べき」のなかには少しばかり正しさのエッセンスが含まれているので迷える人々は自然とそちらへひきつけられる。正しさは強い。きっと正しいものは自分で主体的に選ぶ必要がないからだろう。私の職業は鍼灸師である。夢いっぱい、希望いっぱいでこの仕事を目指した私も卒業する頃には目は曇り「べき」で頭の中がいっぱいのつまらない大人になり下がっていた。ご存じない方も多いと思うのでその当時私や、おそらくこの業界が抱えている「べき」はこのようなものだったと思う。

・鍼灸師たるもの古典文献に精通するべき
・鍼灸師たるもの個人開業するべき
・鍼灸師たるもの開業したら1000万円を稼ぐべき
・鍼灸師たるもの鍼灸で患者さんの悩みをなんとかするべき
・鍼灸師たるもの臨床だけではなく研究もするべき

たくさんの「べき」にしばられてべきべきになり、身動きがとれなくなっていた。「なぜそうするのか?」と問われても「そういうものだから」と返事をするのがやっとだ。理由なんかない。そうするべきだと思い込んでいたのだから。

2.「べき」から「すき」へ

こんなべきべき人間な私にも自分を振り返るタイミングがあった。きっかけは開業である。お灸堂を開院する前、私は一度往診専門で開業をしている。しかし、開業したものの仕事はほとんどなく、暇を持て余して一日の大半を自宅で家族と過ごしていた。お金はないからやることといえば勉強するか、内省するかぐらいである。忙しさは心を亡くすというが、暇は心を亡くさない代わりに悩みが大きくなる。あの時期があったから今があるとは思うけれど、あんなことはもう二度とごめんだ。

暇も半年、一年と続くといよいよ「べき」もゆらいでくる。なにせ「べき」では飯は食えないから。どこかのタイミングで別のベクトルへと頭が思考をはじめた。これが私にとってのターニングポイントになる。そもそも私はこの仕事に憧れて、私が好きでこの業界に入ったクチだ。「すき」で入ったはずなのに気が付けば「べき」に囚われていた(これを目的と方法が入れ替わると呼ぶ)。「べき」を「すき」に戻す作業をしようじゃないか。

・なぜこの仕事を選んだのか?
・どこが好きなのか?
・どんな風に役に立ちたいのか?

問い続けた中でキーワードとして残ったのが「東洋医学(お灸)」と「養生」そして「デザイン」だった。自分の中でキーワードが決まった瞬間から、劇的ではないけれど世界の見方がちょっとだけ変わる。今まではマイナスをゼロに戻すためにやっきになっていたわけだから、ゼロからスタートする分には一応全部プラスにはなるわけでこれは大きな進歩だ。

3.「すき」を深堀してみよう

じゃあ「どうやって自分のキーワードを探すんだい?」となると思う。私がよくしていたのは「すき」の深堀だ。自分が「すき」なものを寄せ集めて、それのどこが「すき」なんだろう? と考えて(聞いて)みる。良い年の大人ならそうやって集めていくとなんとなく傾向みたいなものが浮き彫りになるはずだ。私の場合は

「少数派」「シンプル」「ドキドキ」「温かい」「視点が変わる」

といった要素がそれにあたる。無意識にこういったものを選ぶ傾向がある。(先日も葉山の中華料理屋で無意識にメニューの隅っこにあった麻婆ラーメンを頼んでいた)このエッセンスが集約した私らしいものが「東洋医学(お灸)」と「養生」だったのだろう。そのベースの上に鍼灸が乗せることで自分らしい働き方が構築されていく。あなたも一緒に「すき」を探してみませんか? すきからなだけに。(お粗末様でした)

お灸とデザインの人。お灸治療院のお灸堂、お灸と養生のブランドSUERUの代表をしています。みのたけにあった養生ってどうすりゃいいの?という課題に向き合う毎日です。